2月16日に行われた復帰記者会見で黒田は、
「カープに帰るなら、今年が最後。年齢的な部分もそうですし、帰るなら今年しかない」
と心境を明かした。
広島時代にバッテリーを組んでいた西山秀二氏が話す。
「必ず広島に帰ってくると思っていましたよ。メジャー移籍後もオフには食事して、会うたびに黒田は、復帰への思いを伝えてくれていましたから」
黒田は西山氏にこう語ってきたのだという。
「最後はもう1回、カープのユニホームを着たい。でも、メジャーで通用しなくなったからカープに戻って来ましたという形にはしたくない」
はたして昨年12月、黒田は、ヤンキース、ドジャース、パドレスという名門球団からの高額オファーを蹴り、広島への復帰を決意したのだった。
「黒田のすごいところは、チームから必要とされるバリバリのメジャーリーガーとして戻ってきたということ。これは、ダルビッシュやマー君が今、日本球界に復帰するのと同等以上の価値があります」
阪神で現役時代に黒田と幾多もの対戦をしてきた、今岡誠氏もこう凱旋復帰を称賛する。
昨オフ、パドレスは約21億6000万円(推定、以下同)、ドジャースは約19億2000万円+出来高の1年契約を黒田に提示したと言われる。
世界最高峰のメジャーという舞台でも「超一流」として認められる存在になっていたのだ。
しかし、その野球人生は決して順風満帆なものではなかった。むしろ挫折の連続だった。
黒田は野球の名門・上宮高校から専修大学を経て、逆指名のドラフト2位で広島に入団している。
とはいえ、アマチュア時代に取り立てて目立った活躍をしてきたわけではなかった。
96年のドラフト会議直前のこと──。ロッテなどで活躍し、メジャー経験もある薮田安彦氏のもとに一本の電話が入った。
「黒田は高校の1つ後輩です。プロ入りも僕が1年早かった。それで黒田が電話をかけてきて、『薮田さん、プロの世界はどのくらい厳しいんですか』『ロッテの雰囲気はどんな感じですか』と質問されたんです。僕もそうだったけど、プロ入りに際して不安はあったと思いますよ」
今岡氏もこう話す。
「黒田がいた専修大学は、彼の最終学年の年に東都1部リーグに昇格。僕は東洋大学やったんで、4年生の時は黒田とも対戦しているはずなんです。でも、印象はまったくない。高校も僕がPLで黒田は上宮やから、接点はあるはずなのに、まったく記憶にないんです」