専修大学OBで、広島で黒田と一緒にプレーした、現三菱重工広島硬式野球部監督の町田公二郎氏は、96年11月に大学時代の黒田と対戦している。東都大学選抜と東都OBの現役プロの記念試合で、町田氏は黒田からレフト前ヒットを打った。
「ストレートには威力があった。でも当時の黒田はとにかく細かった。プロ入り後も後ろで守っていて、下半身が細いなという印象。ただ、腰回り、太腿、ふくらはぎなど、年々どっしりしていったよね。本人が努力した結果だと思う」(町田氏)
広島時代に黒田とバッテリーを組んでいた西山秀二氏が、プロ入り後に黒田が取り組んだトレーニングを明かす。
「1年目は先発ローテーションとして6勝を挙げたが、2年目はわずか1勝止まり。学生野球とは異なり、プロ野球は長丁場だから、強靱な肉体を手に入れないと生き残れないと痛感したんだと思うよ。そこで、下半身を強化する体幹トレーニングをいち早く取り入れて、肉体改造にも励んだ」
広島球場でナイターが終わったあとも1人黙々と体幹トレーニングやストレッチに取り組んでいたという。こうした地道な努力の積み重ねが、メンタル面に課題を残していた投手を日本球界を代表する投手へと成長させたのだ。
メジャー移籍後も黒田の真摯な姿勢はまったくブレることがなかった。
上宮高校当時、コーチ、監督として黒田を指導した、現近畿大学硬式野球部監督の田中秀昌氏が語る。
「ドジャーズ時代に黒田の自宅を訪ねましたが、『トロントの球場はマウンドが高いので、肘が下がらないように気をつける』とか『低めの対応がうまいので丁寧に』などと、チームごとに対戦するバッターの傾向や特徴をみずからメモしたバインダーを作っていた。常に持ち歩いていると言っていました。メジャーでも成功を収め、ハリソン・フォードやシャロン・ストーンが近所に暮らすビバリーヒルズの豪邸に住むようになっても、まったくおごるところがなく、高校生の頃よりも真剣に野球に向き合っていましたね」
冒頭でも触れた専修大学の入学式で、黒田は新入生にこのようなエールを送っている。
「18年間のプロ野球生活を通じて感じることは、『成長するためには自分で考えるという覚悟が必要』ということです」
西山氏は言う。
「常に目の前を走るライバルの背中を追い越そうと、自分自身に言い訳することなく、地道に前へと進み続けてきた。実は黒田の野球人生は『ウサギとカメ』のカメなんです」
広島を24年ぶりの優勝に導くため、黒田の不屈の野球道は続く──。