甲子園で通算51勝(歴代3位タイ)、さらに春夏で計5度の優勝(歴代2位)を誇る、横浜高校の名将中の名将、渡辺元智監督(70)の今夏限りでの勇退というニュースは高校野球界に激震を走らせた。
今年のセ・リーグで本塁打王を独走する筒香(DeNA)、9年目でブレイクした福田(中日)、いわずもがなの松坂(ソフトバンク)、涌井(千葉ロッテ)など、プロで活躍する教え子たちを挙げだしたら枚挙にいとまがない。全国の野球少年の憧れはもちろん、現在は進学校としても県内有数の名門となった横浜高校だが、そのイメージアップに対する渡辺監督の貢献度は計り知れないのだ。
しかし、渡辺が指導者人生をスタートさせた1965年当時、横浜高校はあまりのガラの悪さから“ヨタ校”と呼ばれ、「学校のバッジを見れば、誰もが避けて通る」と言われるほど、地元民から恐れられる学校だった。当然、野球部も例に漏れず、問題児の巣窟となっていた。しかし68年に正式に監督に就任すると、熱血漢・渡辺元智の目標は当然のように「甲子園出場」となる。
ところが当時の神奈川県は名将・原貢(原辰徳の実父)率いる東海大相模や桐蔭学園の黄金時代。彼らを倒さないと甲子園には出られない、では彼らを倒すためにはどうしたらいいか? 手っ取り早い方法は有望中学生のスカウトだ。しかしながら、有力な中学生は“ヨタ校”に見向きすらしなかった。
甲子園出場はますます遠のくばかり。背に腹はかえられないと感じた渡辺は、ここで掟破りの手を使うことになる──。
高校野球に精通するノンフィクションライターのU氏が話す。
「渡辺監督は“虚偽勧誘”という禁じ手をしかたなく使ってしまうんです。私立高校なのに県立と偽り、生徒の成績も優秀で素晴らしい学校だと触れ込みまくった。さらには合宿所も完備と‥‥。今のネット時代では考えられませんが、言うことのほとんどがデタラメ。とにかくウチに来てくれさえすれば、指導には自信がある。あとはどうにかなるだろうという腹づもりだったと、後に語っています」
そんなギリギリと言うべきか、必死の勧誘で入学にこぎつけた選手の1人が、永川英植(元ヤクルト)だった。永川は地元では中学時代から有名投手で、学年では1年上になる作新学院(栃木)の怪物・江川卓にも負けないと評判の大器だった。
それに渡辺にとって幸運だったのが、永川の出身中学の野球部顧問が横浜高校OBだったことだ。そのOBにも説得され、当初は東海大相模へ進学するハズだった永川は横浜高校へと方向転換する。
奇跡は起こった。迎えた73年春の選抜大会。この永川を擁して初出場した横浜は、なんと初優勝まで成し遂げたのだ。永川は4試合計42イニングを完投し、失点はたったの4点、防御率0.64という抜群の成績で母校を栄光へと導いたのである。
この初優勝がキッカケで強豪・横浜、そして名将・渡辺元智が誕生したといっても過言ではない。以後、80年夏、98年春夏、06年春と計5回の全国制覇達成。ちなみに横浜高校は70年代、80年代、90年代、00年代という4つの年代で優勝を果たした唯一のチームとなった。
その後のOBらの活躍は言うまでもない。今夏で勇退する渡辺監督のために、筒香が本塁打王を獲るのか、松坂が復活するのか──。「横浜野球」を築き上げた名将の人生をかけた思い切ったスカウトが、現在の名選手たちを生んでいるのは間違いないのだ。