8月3日現在、セ・リーグ3位。チーム初となるクライマックスシリーズ進出圏内につけている横浜DeNAベイスターズ。その好調なベイスターズ投手陣でチーム2位の7勝を挙げているのが、大分県の柳ヶ浦高校出身の山口俊だ。
山口は05年のドラフトの目玉の一人として、当時の横浜ベイスターズから1巡目指名を受け入団したのだが、最初に野球ファンにその名が広く知れ渡ったのは同年春の選抜大会だった。
父は大相撲の元幕内力士・谷嵐。登板前に四股を踏むことがまず話題となったが、その実力も申し分なかった。なにせ柳ケ浦高校は並み居る名門校を蹴散らし、前年秋の明治神宮大会を圧勝。この選抜大会では一気に主役に祭り上げられていた。むろん、山口もエースとして圧倒的なピッチングを期待されていたのだ。
だが、初戦の天理(奈良)戦。山口はいきなり甲子園の洗礼を浴びる。ストレートで最速151キロを記録し、観衆の度肝を抜いたものの、試合巧者の天理打線のソツのない攻撃の前に9安打を浴び、0-4でまさかの初戦敗退を喫してしまうのだ。
この山口、じつは1年生時にも甲子園に出場している。03年夏の選手権で背番号11でベンチ入り。その出番は初戦の常総学院(茨城)戦で早くも訪れる。0-2と劣勢状態の6回裏からリリーフ登板し、2回を投げ、打者7人に対し被安打1。奪三振は0だったものの、この年の優勝チームとなる常総学院の打線を無失点に抑え、その非凡な才能の一端を示した。試合は1-2で惜敗したものの、7回表に反撃の1点をもぎ取れたのは、山口のピッチングがチームを勢いづけた結果に他ならない。
それから2年後の05年夏、春はよもやの甲子園初戦敗退を喫したものの、大分予選では当然のように優勝候補筆頭。ところが順調に勝ち上がり、迎えた準決勝の別府青山戦。山口は先発するも途中で右ヒジ痛を発症、緊急降板してしまう。チームも延長10回の死闘の末、1-3で惜敗。
結局、山口の甲子園登板は1年夏と3年春の二度のみ、しかもどちらも初戦敗退。常総学院、天理という甲子園の常連ともいうべき猛者の前に、山口ほどの豪腕でも甲子園で校歌を歌う夢は叶えられなかったのだ。
(高校野球評論家・上杉純也)