甲子園出場を目指し、全国で地方予選が開催中のこの夏。お笑いの世界でも、その青春を高校野球に打ち込んだ者たちが活躍を見せている。
人気急上昇中の「とにかく明るい安村」は、1999年に北北海道・旭川実業高校の控え投手として甲子園に出場。試合には出場できずにベンチを温めていたものの、伝令としてマウンドまで駆け寄ったという経験を持つ。
その安村は左投手で、現役当時より25キロ太った現在でも低めに制球された球を投げることができるようだ。今では「安心してください、履いています!」のネタでおなじみだが、ほかにも高校野球講座という持ちネタもある。ただ、元球児らしいディテールへのこだわりが災いし、細かすぎて伝わらないのが難点のようだ。
同じく控え投手だったのはTIMのレッド吉田。京都・東山高校で1983年に夏の甲子園に出場している。吉田の場合、コンビ結成のきっかけが甲子園だったのが興味深いところ。というのも相方となったゴルゴ松本も三塁手の控えとして、1995年のセンバツに埼玉・熊谷商で出場していたのである。
吉田と松本の2人はそれぞれ芸人を目指して上京し、偶然にも同じアパートに住むことになった。後から入居した吉田が隣室に挨拶に行ったところ、松本が室内でトレーニングしているのを目撃し、お互いが高校野球出身と知って意気投合したという。まさに野球が繋いだ縁だと言えよう。
後のプロ野球選手と一緒にプレーしていたのは、千葉・八千代松陰高出身のジャングルポケット・斉藤慎二。1年生だった1998年に控えの外野手として夏の甲子園に出場しており、この時のエースが多田野数人(日ハム)だった。また、一回戦敗退の相手はPL学園で、当時のエースが上重聡(日本テレビアナウンサー)だったのも注目ポイントのひとつだ。
最後に紹介するのは、甲子園に届かなかった球児のエピソードだ。千鳥の大悟は、岡山県・笠岡商に野球特待生として入学し、正遊撃手を務めていたが、最後の挑戦となった1997年の岡山県大会では6-7の僅差で予選敗退。この試合で大悟は極度の緊張に襲われ、自分のグローブが他人のものに感じるほどの混乱状態に陥っていたという。
そのため簡単なゴロさえ上手く捕球できず、しまいにはゴロに体を当てていって止めたのだとか。最後は4エラーという屈辱的な結果に終わり、野球生活に終止符を打つことになった。今でもこの経験を人生で最も熱くなった瞬間として記憶しており、その悔しさが芸事の精進に活かされていることは間違いなさそうだ。
(金田麻有)