みずからの腕1本で勝負するプロ野球選手。グラウンドは荒ぶる男たちの戦場であり、必然的に数々の豪快伝説が生まれているのだ。スポーツライター・芝遼一郎氏が驚きあり笑いあり感心ありの秘話を明かす。
戦後最大の国民的スターといえば、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。現役時代、テレビ局のインタビュー取材に対し、「謝礼はいらないから、フグを食べさせてくれ」と申し入れた際のこと。番組スタッフとフグ料理店に入ったミスターは、フグ刺しを注文した。「ミスターはいきなり大皿の半分ほどを箸でゴソッとすくい、一気に食べてしまった。スタッフはアゼンです。結局、謝礼を払うより高くつきました」
常人のスケールには収まらない大スターは、交通ルールまで変えてしまう。ある時、車を運転していたミスターは、一方通行の道路を逆方向から進入。そこへ正しく走行する対向車がやって来た。
「するとミスターはその運転手に向かって『すいません。長嶋でーす』とひと言。すると運転手は喜んでバックし、ミスターを通してしまった。そんなことが何回かあり、時には数百メートルもバックした人がいました」
まさに国民的スターの面目躍如たるものがある。
国鉄時代、「金田天皇」の異名をとった金田正一は、まさにチームを我がものにしていた。
「ダブルヘッダーの第1試合に登板し、勝利投手になった。そして2試合目が国鉄有利に進むと『ワシがいくわ』と監督のごとき顔で宣言し、マウンドに行ってしまった。本物の監督も何も言えないほどのすごみがありました。1試合目で百何十球も投げているのに、また何十球も投げる。そして実際に抑えて勝利投手になってしまう。それはそれで豪快でした。昔はそんな連投は当たり前でしたから」
71年のオールスターで9者連続三振の偉業を達成した際、9人目の打者・加藤秀司が打ち上げた捕手へのファウルフライを捕球しようとした田淵幸一に向かって「捕るな!」と叫んだ豪腕・江夏豊のエピソードは有名だが、
「感服ものだったのは、球界でズバ抜けた記憶力。昭和48年5月×日、××戦の×回表、××選手への×球目は内角カーブ‥‥などと、全て覚えているんです。報道陣が驚いていると、表情一つ変えずに『当たり前やろ』と」
そして担当記者には暗黙の「江夏ルール」があったという。
「食堂に入って江夏がきつねうどんを注文する。すると担当記者も同じものを頼むことになります。でないと機嫌が悪い。七味をかければ、また同じようにかけなければならない。ボスと手下のような関係でした(笑)」
巨人監督時代の87年、王貞治は後楽園球場での試合後、担当記者に囲まれてコメントしていた。その後、王は球場内の風呂場へと向かう。ところが報道陣は、うっかり聞き忘れていた確認事項があったと、入浴中の王を呼ぶべく、おそるおそる戸を開けた。「王さん、すいません‥‥」──。
「するとちょうど洗髪中だった王さんは頭を石鹸まみれにしてシャカシャカと洗いながら立ち上がり、『おう、何だ何だ、お前ら。どうした?』と言いながら近づいてくる。股間をブラブラさせて、まるで誇示するかのように堂々と。それがまた立派なサイズで‥‥実にデカかった。記者たちは羨望のまなざしですよ。そりゃ王さんもあれだけのモノなら自信あるでしょう」
最後は日本ハム監督を退任して球団常務になった頃の大沢啓二の豪放現場を。
「ある夕刊紙に『親分などと呼ばれているが、実際はケツの穴が小さい男だ』という記事を書かれて激怒し、その編集部にみずから電話をかけたんです。そして『おぅ、明日から(日本ハムを)取材しなくていいぜ!』と出入り禁止を宣告した」
慌てた夕刊紙は、何とか手打ちしようと、秋山登を仲介役に立てて宴席を設け、大沢親分を招待した。何軒かハシゴしたあと、最後に入った銀座のクラブで事件は勃発。
「すっかり酔っ払った親分があの記事をまた思い出し、『おぅ、ケツの穴が小さいと書いたよな。そのケツの穴、お前らに見せてやる!』とパンツを下ろそうとしたんです。みんなで『やめてください』と必死で止めようとしても『見せてやる!』と言って聞かない。何とか出させずに収めましたが、記者たちは『親分にはかなわない』と思ったそうです」
さすが、親分の度量!?