未曾有の原発事故から4年半もの月日が流れた。現在はテレビや新聞で報じられる機会が激減した福島第一原発だが、この酷暑の中でも連日、収束作業は続いている。鹿児島では新規制基準下で初めて川内原発が再稼働した今、長らく福島の現場を見続けてきた現役の原発作業員が、被曝労働の過酷実態や東電の欺瞞を告発する!
福島第一原発では多くの作業員が働いている。
福島県外の建設関連会社に勤務する長田眞氏(仮名)も、一見して筋骨隆々ぶりがわかる中年の熟練作業員だ。2012年から福島第一原発の収束作業にゼネコンの下請けとして従事し、今も現場に通い続けている長田氏がぶちまける。
「時々、安全管理パトロールと称して現場の様子を撮影したりしている東電社員は見かけます。そして、その時の写真をあとから示して『安全帯の付け方が甘い』などと指摘してくるのですが、問題があるなら、その場ですぐ注意すべきですよね。できないのは早く危険な現場から立ち去りたいからでしょう」
今年1月にはわずか2日間で東電が有する福島第一、福島第二、柏崎刈羽の3原発で作業中の死者2人、重傷者1人が発生し、東電側は安全対策や作業手順書の見直しなどの対策を打ち出したはずだが‥‥。
「当時は元請けから十分に注意するよう口頭で繰り返し注意をされましたが、手順書の確認などは記憶にない」
どうやら、東電側の安全対策は穴だらけのようだ。
長田氏の覚悟の暴露を続ける前に簡単に福島第一原発の現状に触れておこう。
巨大津波により全交流電源喪失に陥った福島第一原発では、1~3号機の原子炉で核燃料溶融が起こり、1、3号機で水素爆発。事故時に定期点検中で原子炉内に核燃料がなかった4号機でも、3号機爆発で流れ込んだ水素によって爆発が起こるという史上まれに見る大惨事を引き起こした。
あれから4年超──。各原子炉では爆発時のガレキを除去し、使用済燃料プールにある燃料棒を安全な場所に移送したあと、1~3号機では原子炉内の溶融した燃料の取り出しを行わねばならない状況がいまだ続いている。
長田氏が担当する1号機も原子炉建屋に取り付けたカバーを外し、今後ガレキの除去と燃料棒取り出しを行う予定だが、東電は当初の計画より作業が遅れると発表している。今は政府と東電が約40年と定めた廃炉工程表の実現も危ぶまれる状況だ。
長田氏は12年に1号機の放射性物質拡散防止のために作られた建屋カバーの設置に携わり、現在は建屋内のガレキ除去を開始するために、カバーを解体する作業に従事している。
「3年前は小名浜港近くのヤードで、カバーに使用する鉄骨を組み、福島第一まで海上輸送後、現場で国内最大級のクレーンを使って、遠隔操作でカバーを組み立てるという作業に関わりました。最初に福島第一内に入った時は、仮組みしたカバーの移送経路にあたる原発港湾から1号機までの道に鉄板を敷き詰める作業をしたんです」
鉄板を敷き詰めるのは爆発時に地面に降り注いだ放射線を遮断するためだ。当時はまだ建屋周囲にガレキの一部や津波で横転した構内工事車両なども残されたまま。そうしたものを片づけながらの作業だった。
「当時はまだ放射線量が高くて、1時間で1.2ミリシーベルトも浴びてましたよ。今は数十マイクロシーベルトまで落ちましたけどね」
1時間当たり1.2ミリシーベルトという線量は、現在の東京都内の約1万倍以上。数十マイクロシーベルトに落ちても、東京の100倍以上である。いまだにとてつもなく過酷な現場であることは想像できるだろう。