70年代の青春ドラマで、鮮烈な印象を残した女優が青木英美(62)だ。当時の日本人には珍しい黄金比ボディは、モデルとしてもまばゆい光を放っていた。
その名をとどろかせたのは、16歳で「ミス・ヤングインターナショナル」の世界2位に選ばれたこと。大阪万博を翌年に控えた69年のことだった。
その前年には「ミスティーンコンテスト」で準ミスに輝き、2年続けて多忙な日々を送る。
「特に『ヤングインターナショナル』は日本で開催されたので、世界50カ国のミスが来日して、3週間ほど一緒に過ごしましたよ。王冠をつけて各地のレセプションや開会式に飛び回っていました」
ここで注目されて芸能界にデビューし、168センチの恵まれたプロポーションでキャンペーンガールとしての一歩を踏み出す。子供向けのチューインガムで知られた製菓会社「ハリス」が、若者層を狙った「ハリスチューイングBON」を新たに売り出し、その広告塔となった。
「2年の契約でしたが、いつもすごくオシャレな衣装を用意していただきました。真っ赤なバイクに合わせた赤い革のツナギとか、短パンに膝上20センチのロングブーツ、当時の流行だったマキシスカートもありましたね」
テレビのCMも、ジェットスキーで海を疾走するなど最先端を行っていた。キャンペーンガールとしては満点の活躍だったが、そのために逃した仕事もあった。
スポ根ドラマの金字塔として最高視聴率39.3%を記録した「サインはV」(69年、TBS系)である。
「范文雀さんが演じられた悲運のアタッカーのジュン・サンダース役に決まりかけていたんです。ところが、ドラマは不二家の1社提供で、私は同じ製菓のライバル会社であるハリスのイメージが強かったから、流れてしまいました」
翌70年には晴れて「金メダルへのターン!」(フジテレビ系)でスポ根ドラマへの出演を果たす。主人公と敵対する役だったため、街を歩いていると「意地悪なお姉さん」とつぶやかれることも多かった。
女優としての人気を決定づけたのは、村野武憲主演の「飛び出せ!青春」(72年、日本テレビ系)と、中村雅俊主演の「われら青春!」(74年、日テレ系)における森下真樹役。女子高生を演じて人気を集め、同じ役名で引き続き出演という異例のキャスティングになった。
「雅俊さんの出身が宮城の女川町なので、震災後に『われら青春!』の出演者やスタッフを中心に、復興支援隊を作ったんです。街頭募金を集めたり、現地の保育所の子供たちにプレゼントを持って訪問しました」
もう一つの代表作は、ジーパン刑事(松田優作)と同じ日に配属されて七曲署のお茶くみとなった「太陽にほえろ!」(73年、日テレ系)だ。撮影が終われば優作らと飲みに行くことも何度かあった。
「優作さんもまだ新人でしたので、物静かで礼儀正しい方でしたよ。ただ、お酒が入ると演技のことに関しては熱っぽく語っていましたね」
その後、芸能界を離れてフランスに滞在。私生活では結婚と離婚も経験したが、現在は再びモデルとして活動している。すらりと伸びた手足は、デビューから半世紀近くがたつが、みごとにキープしている。
「特に秘訣はないんですよ。3食をよく食べて、よく歩くことですかね」
世界基準の肢体は、そんなナチュラルな法則で維持できるようだ。