日本のCM史において、必ずピックアップされるのが、小川ローザ(68)の「Oh!モーレツ」である。ブームを日本中に巻き起こしたが、自身は運命の荒波に何度も巻き込まれていた。
── 当時の小学生がこぞって「Oh!モーレチュ」と言いながら、スカートをめくることに夢中になったあの時代。丸善石油(現・コスモ石油)のハイオクガソリンのCMは69年のオンエアだった。
小川 あの当時は私たちモデルの需要が高くて、オーディションもなしに1日3本の撮影をこなすこともザラでしたよ。このCMも写真だけの審査だったんですが、私を推したのは1人だけと聞きました。
── よく逆転しましたね。
小川 もう1人の方に皆さんの票が集まったけど、丸善の宣伝部の方が「絶対に小川ローザで」とおっしゃったそうです。
── さすがは本社の宣伝マンたる眼力。さてCMは、猛スピードで走る車の風力でミニスカートがめくれるという展開でした。
小川 撮影はとにかく寒かったですね。スタジオの下が土で底冷えがするし、大きな送風機を2台使って風を当てていましたから、体が冷えきっていました。
── 舞台裏はモーレツな寒さと戦っていたんですね。このCMで注目され、歌手としてもデビューし、ヒットを記録しました。
小川 歌は苦手でしたし、レッスンする時間もなかったので、いいところを継ぎはぎしたレコードになりましたよ。売れたのはCMと同じポスターがついていたからだと思います。
── 人気絶頂にありながら70年2月26日にトヨタのレーサー・川合稔氏と結婚。出会いはどんなきっかけですか?
小川 モデル事務所の有名なマネージャーの方がいて、そのご夫妻が川合さんをかわいがっていたんですよ。その紹介で知り合って、おつきあいするようになりました。
── 彼が優勝したレースでは、祝賀パレードで車に同乗していますね。
小川 まだレースクイーンという言葉もない時代でしたが、レースに関わった仕事は多かったですね。
── 結婚からちょうど半年後の10月26日、最愛の夫がテスト中の事故で急死。そのことが引退にもつながりましたね。
小川 夫を失ったショックもありましたけど、マスコミに追いかけ回されるつらさもあって、御飯がノドを通らない。10キロも痩せてしまったほどです。夫が亡くなる前の年には、同じトヨタのレーサーで、小川知子さんの恋人だった福澤幸雄クンも事故死しました。そのことで「小川つながりだ」と書かれたのも信じられませんでした。
── そしてイタリアに移住し、ここで5年半ほど生活されたそうですが。
小川 知人がいたので、その人を頼ってアパレル関係の仕事をしていました。そういえば現地で偶然、目にしたんですが、海外向けのコンドームの箱に私の写真が使われていたんですよ。
── もちろん、無断で?
小川 そうです。その写真を撮った記憶はありましたが、まさか、そういう形で使われていたとは思いもしませんでした。
── 現地ではシングルマザーになったことも報じられました。そして2012年、引退から40年以上がたってシニアモデルとして活動を再開。
小川 アパレルや介護の仕事をやって、最後に再びモデルの世界。これも縁あればこそなんでしょうね。