72年に始まったNHKの少年ドラマシリーズは、SFファンタジーを中心に、多くの名作を生んだ。記念すべき第1作「タイム・トラベラー」のヒロインだった浅野真弓(58)が、実に30年ぶりにインタビューに応じてくれた。
当初は本名の「島田淳子」でしたが、デビューした「タイム・トラベラー」に出た時は15歳です。当時の写真を見ると、人生でいちばん太っていたなと思います。原作は筒井康隆さんの有名な「時をかける少女」でしたが、第3次まであるオーディションで選ばれ、周りは大人ばかりの環境で15歳がよく頑張ったなと思います。
あのドラマにはタイムスリップする場面が何度も登場します。CGなどない時代、私はよくつり上げられて、バックをクロマキー処理しての撮影が多かったですね。
番組が始まってすぐに、ファンレターが1日に100通も届くようになりました。未来人のケン・ソゴルを演じていた木下清さんに「ガキっぽいな」と言われていた私に、どうしてそんなに手紙が届くのか不思議でしたね。
ただ、好評を受けて作られた「続 タイム・トラベラー」(72年)では、ディレクターに「ダメだ、役者をやろうとするな」とひどく怒られました。どういう形に演じたらいいのか、すごく悩みましたね。
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73年に「浅野真弓」に改名すると、休む間もないほどの売れっ子女優になった。主演ドラマも数多く作られたが、85年に引退。その前年にロックミュージシャンの柳ジョージと結婚したことで活動に幕を引いた。
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失礼ながら、夫のことはまったく知らなかったんです。ただ夫は私のドラマとか見ていたらしく、それで中野サンプラザのコンサートに招待され、そこから結婚に進んでいきました。
つきあっている当時、夫は志村けんさんと毎晩のように飲んでいて、私もそこに加わったことがあります。2人ともベロベロになるまで、ずっと飲んでいましたよ。
夫はシャイな人ですから、ミュージシャンとの交流は持たないし、誰かの話をすることもほとんどありません。そんな人が唯一、語ってくれたのが、ステージ前に突然、高倉健さんがいらしたこと。大きなドンペリの瓶を持って「高倉です、ずっとファンです」と言ってくれたと、いつも誇りにしていました。
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柳は11年10月10日、腎不全により63年の生涯を終える。浅野は死を覚悟している夫を支え、最後の日々を献身的に支えた。
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亡くなる1週間前、私にプロポーズの時と同じ言葉を言ったんです。病室で意識ももうろうとしているのに、私の息子に、私のほうを指さして「あの子、かわいい」って。
私は「ダーリン、どうしたの?」って聞きましたが、それが最後の言葉でした。
夫の遺言は「キミを残して逝ってしまうが、死にざまはかっこよくさせてくれ」というものでした。
私は祭壇をギターの形にして、たくさんのお花を並べました。女優の頃は死体の役も犯人の役も、喪主の役もたくさんやってきたのに、いざ夫の死と向き合うと声が出ず、喪主の挨拶も息子に代わってもらったくらいです。
今年の10月10日、また命日がやってきます。私の使命は、柳ジョージが残したすばらしい音楽を、また多くの人に聴いてもらうことなんです。