今年に入り、俳優の今井雅之、フリーアナウンサーの黒木奈々、そして川島なお美と芸能人の訃報が相次いだ。死因はいずれもガン。元プロレスラーの北斗晶が乳ガンを患い、闘病生活を送っているが、悲観することはない。ガンは治る──「奇跡の生還」を果たした克服芸能人が、みずからの体験を明かした。
「人生とは痛みに耐えるものだ。さあ、人生をかみしめろ!」
こんなツカミで始まるゴムパッチン芸で一世を風靡した元「ゆーとぴあ」のホープこと城後光義(65)。3度のガン手術を経てなお、生き延びていた。
「大腸に始まって、症例の少ない小腸でもガンをやった。左の肺は全部取っちゃったし、胃も大部分を摘出したから、内臓が半分になった感覚だよ(笑)」
最初のガン手術は07年。自覚症状はなく、たまたま受けた検査で大腸に8個のポリープが見つかった。だが当人は落ち込むどころか大ハシャギだったという。
「たまたま保険に入っていたから、ガンと診断されて100万円も入ったんだ。『みんな~、俺、ガンなんだよ』と浮かれまくって、弟子を集めて大宴会だよ。お笑いの仕事は全然なかったけど、ガンで2カ月くらいメシが食えたんだ。ガンに1回はかかってみるもんだって気軽に考えてたよ」
内視鏡手術によって大腸ガンを克服。だが、その6年後、肺にガンが見つかる。
「咳が止まらなくなって、痰にも血が混ざっているし、病院で診てもらったらガンだった。手術しなかったら半年ももたないと医者に言われたんだ」
ホープは20代からタバコを1日3箱吸うヘビースモーカーだった。
「アテにしていた保険金も2回目は出ないって言われてね。ガンの前に貧乏で死ぬと思ったの。どうしよう、とにかく外に出て落ち着こう‥‥フゥ~ってタバコを吸ってて、俺はバカか! ってすぐに捨てたんだ」
手術費用の工面に悩むホープを救ったのは、芸人仲間だった。
「知り合いが『ホープを救おう』とパーティを開いたらカンパがたくさん集まってね。ウン百万っていう現金を持って入院して、1カ月くらいで退院できた」
肺ガン治療からわずか半年後、またもやホープの体に異変が生じる。
「どんどん体重が落ちて、いくら食べても痩せる一方。金がなかったから『栄養失調じゃない?』と周囲に言われたけど、小腸に大きな腫瘍ができていて、それが栄養の吸収を全てせき止めていたんだよ」
検査の結果、胃にも大きなガンが見つかった。体力的な問題から1度の手術で胃と小腸、両方の腫瘍を切除することになった。
「今回は本当にヤバそうだって噂が広まってね。仲間たちが見舞いに来てくれたんだけど、そこは芸人だからさ、『うわっ、死臭が!』とか『いよいよ旅立ちですね』なんて茶化すんだよ。おかげで大部屋では肩身が狭かったよ」
運命の大手術は、14年1月16日に東京共済病院で行われた。ストレッチャーは使わずに手術室まで自分の足で歩いた。手術台に乗ると、「執刀医の○○です」「麻酔医の○○です」と医師が順々に挨拶をした。
「コントのフリかと思ってさ。これまで医者と患者の設定で死ぬほどやってきたけど、患者の役はやったことがなくて大丈夫かな、と不安になってるうちに麻酔が効いて寝ちゃったんだ」
ホープに代わり、執刀した東京共済病院の後小路世士夫医師が語る。
「8時間に及ぶ大手術でした。小腸の上部にある『空腸』の腫瘍は15センチ×10センチほどの大きさで、たいへん重要な血管に接していたため、切除には神経を遣いました。また、ガンが進行した胃も3分の2以上を切り取ったため、残胃と十二指腸を直接縫合できず、どうやって小腸とつなぎ合わせるかも大きな課題でした」
オペは無事に成功。ツラい抗ガン剤治療も乗り越えた。もう一度お笑いの舞台に立つ──強い意志が傷だらけの肉体を支えた。
「医師の話に真摯に耳を傾け、設定した目標に向けて少しずつ、確実に努力する姿勢が見られました」(前出・後小路医師)
生涯で4つのガンと闘ったホープは最後に言う。
「ライブではガンをネタにしてガンガン笑いを取りたいね。『不謹慎だ!』とか叩かれそうだけど、ガンになったって深刻になる必要はない。笑ってやり過ごせば何とかなるってことを知ってもらいたいね」
10月24日で66歳になるホープ。70歳まで舞台に立つのが今の目標だという。