「体が大きい分、腫瘍もデカかった。長さは約20センチで、日本の腎臓ガンの症例の中でも5本の指に入るサイズだと言われました」
こう話すのは、欽ちゃんファミリーの“コニタン”として人気を博した俳優の小西博之(56)。「末期の腎臓ガン」と診断されたのは05年1月。その予兆は約3カ月前からあったという。
「まったく食欲が湧かない。ビールを飲んでも味がしないんです。ダイエットをしていたので、体重が減ってもそれほど気にしなかったのですが、12月23日に宿泊していた京都のホテルで血尿が出たんです。この時点でもう、うすうすガンだとわかっていましたね」
年明けに精密検査を受けたところ、医師は腎臓ガンの大きさに目をみはった。ガンの「ステージ」を尋ねる小西に医師はこう答えた。
「ステージでは言い表せない。いつ即死してもおかしくない」
すでに肺や膵臓に転移している可能性は高く、腎臓ガンに圧迫された脾臓がパンパンに膨れ上がっていたのだ。
「もし横腹をどこかにぶつけたら、脾臓が破裂して死んでしまう危険な状態だったのです」
まさに「即死レベル」のガンを自覚し、恐怖にさいなまれた小西は、
「死にたくない! 死にたくない!」
こう叫びながら自宅で暴れることもあったという。
「風呂に入って泣いたこともあります。涙を出し尽くしてヘトヘトになるまでね。でも、そうすることで気持ちを落ち着かせて、いちばん小さいサイズの缶ビールに口をつけると、無味だったビールも少しはおいしく感じられ、不思議とよく眠れました。入院までの日課にしていましたね」
そんな小西の心の支えになったのが、師匠・萩本欽一(74)の教えだった。
「幸せも不幸も全て自分の思い込み。例えば宝くじで100万円当たって、それを幸運と思うのか、組違いで1等の1億円を逃して悔しいと感じるのか、要は捉え方なんですね」
実は以前から小西は、「突発性難聴」にかかり、耳鳴りに悩まされていた。そこである名医に診てもらったところ、
「キミの耳には誰の耳にもいないかわいい鈴虫が2匹いるよ」
と言われ、深い感銘を受けたという。
「それまで煩わしいと思っていた耳鳴りも鈴虫だと思えばなんてことはない。欽ちゃんの教えと鈴虫の話があったから、ガンを受け入れることができたんです。ガンは神様からの贈り物。元気になって患者さんを勇気づける役割が、私に与えられたと思えたのです」
小西がイメージしたのは、完治後にテレビ出演する自分の姿。隣に思い描いたのは、85年から「ザ・ベストテン」(TBS系)でともに司会を務めた黒柳徹子(82)だった。
「絶対に『徹子の部屋』に出て、治るまでの体験談を話そうと決めたんです。番組で何を話そうか、どこで笑いを取ろうか、そんなことばかり考えていました」
05年2月16日に行われたオペでは、左脇腹にVの字形にメスが入れられた。腫瘍で巨大化した左腎臓を摘出するため、肋骨を2本も切断する大手術だった。
「麻酔が切れてからは死ぬほどの激痛に見舞われましたが、それも2日間だけでした」
手術から9日後には退院。仕事にも復帰し、その年の7月には「徹子の部屋」への出演を果たした。
「思い描いていたとおり、番組では笑顔で手術跡を披露させていただきました」
それから10年が過ぎたが、今でも定期検査を怠らない。
「あとで聞いたのですが、私のケースでは、5年以上生きられる生存率は2%以下だったそうです」
現在、小西は年に100回もの講演会を行い、ガン患者を勇気づけている。
「ガンは3人に2人は治る病気。よく『闘病』という言葉が使われますが、水虫やイボと一緒で、人間が闘う相手ではありません。ただ、医療費の面でアドバイスするならば、ガン保険への加入はお勧めします。先進医療で1000万円なんてザラですから」
1人でも多くの命を救うために──小西とガンの闘いは今も続く。