「それでも俺には練習しかなかった」
人は挫折のたびに強くなる。しかし、それも「挫折の受け止め方」しだい。現役最強ボクサーとして、日本人初の「名誉王者」にまで登り詰めた男にも、多くの挫折に直面した過去があった。チャンピオンはどう乗り越えてきたのか。その独自の流儀を激白した!
プロ2戦目に最初の挫折が・・・
東京・神楽坂にある帝拳ジムは、午後3時を過ぎると、一気に緊張感と活気を帯びる。3人の現役世界チャンピオン、5人の世界ランカーらが練習を開始する時間帯なのだ。
ジム内にボクサーたちの熱気が立ち込める中、際立つ存在感を放つ男がいた。
サウスポー・スタンスからスピードに乗った右のジャブ、左ストレートがミットを打ち抜く。まるで、磁石でも装着してあるかのように、トレーナーのミットに拳が吸い込まれる。
正確な技術だけではない。その練習中の姿勢、いや休憩時であっても、簡単には声をかけられない雰囲気を漂わせているのだ。それは、"孤高"という表現に置き換えてもいいだろう。
しかし、練習を終えると気さくな35歳に戻る。右目上にわずかに残る傷跡がボクサーであることを物語っているが、それがなければ銀行員か証券マンでも通用するかもしれない。
そんな2つの顔を見せる男こそが、「現役最強王者」と称される西岡利晃だ。
08年9月にWBCスーパーバンタム級タイトルを獲得後、チャンピオンとして7度の防衛に成功している。3年前にはメキシコでTKO防衛を果たし、昨年10月には日本人初となる聖地ラスベガスでの防衛も果たしている。世界的に見ても注目度も高いスター選手と言える。
そんな西岡にも先の見えない苦難の日々があった。「その当時は挫折という意識はなかったけれど、客観的に見ればそういうことになるんでしょうね」
客観的には挫折、しかし、自分は挫折とも思っていない。強がりにも聞こえる言葉だが、西岡の話を聞くにつけ、本気でそう考えていることがわかる─。
兵庫県生まれの西岡は中学、高校時代から自他ともに認める「天才」として知られた。義務教育の年齢ながらスパーリングでプロの日本ランカーを圧倒しているという話は東京まで伝わってきたほどだ。
ところが最初のつまづきはすぐにやってきた。高校の卒業式を1カ月後に控えたプロ2戦目でKO負け。しかも、担架に乗せられて、リングを降りるというショッキングな敗北だった。
「ひと言で言ってしまえば相手が強かったんですよ。悔しかったけれど、あの時点では自分の力が足らなかったということですね。全勝で世界チャンピオンになるつもりだったので、そりゃあショックでした。でも、ボクシングをやめる気はまったくありませんでした」