競馬界のレジェンドが6年ぶりに年間100勝に到達した。10年に落馬負傷すると主戦級扱いだった馬主からの依頼が激減、勝ち星は全盛期の4分の1にまで落ち込む状態に。しかし、心身の傷が癒えた今、天才の技術は全盛期に戻り、GI完全制覇のチャンスまで到来する「完全復活」の光が差しているのだ。
11月29日の京都競馬場8レース後、実に6年ぶりの年間100勝達成を祝うお立ち台に上ったのは武豊(46)だった。スポーツ紙デスクが話す。
「過去、勝ち星などの数字にこだわることはなかったのに『今年に関しては100勝が目標の一つでした』と語ること自体が初めてのような気がします。よほどうれしかったのでしょう。05年に212勝もした男が09年の140勝を最後に2桁に転じ、12年はわずか56勝。厳しかったこの6年間を克服した安堵感すらうかがえた。記念の勝利馬の名前がキングノヨアケ。できすぎな偶然です(笑)」
その前日には京都2歳Sを良血馬ドレッドノータスで制しており、デイリー杯2歳S(11月14日)のエアスピネル、東京スポーツ杯2歳S(11月23日)のスマートオーディンに続く3週連続2歳重賞制覇(84年のグレード制導入以降、初めて)という珍記録を打ち立てたばかり。騎手生活28年で数々の記録をスピード達成してきた競馬界の「キング」が再び輝きを放ち始めたのである。前出・スポーツ紙デスクが続ける。
「3頭とも期待の有力馬で、来年のクラシック戦線が楽しみですが、京都2歳Sはスローペースの中、向こう正面で行きたがる馬と折り合い、2番手追走から直線で抜け出して、きっちりと頭差だけ抑えての勝利。さすがのひと言です」
ドレッドノータスの馬主はキャロットファーム(社台系の会員制クラブ)で、生産者は社台グループの最大手ノーザンファーム。武の低迷と復活の陰には、この「競馬界の帝王」との関係の変化がある。栗東トレセン関係者が振り返る。
「ディープインパクトを無敗の3冠馬に導いた05年は、ノーザンファームの馬だけで47勝もしていたものです。ところが10年3月の毎日杯での落馬骨折事故の翌年から4勝、2勝とさんざんでした。復帰までに擁する時間が半年とも1年とも言われる重傷でしたが、10月に凱旋門賞挑戦が控えていたりして、4カ月で復帰。この無理がスランプの一因でもありました。そして凱旋門賞、12月の阪神JF、翌年5月の天皇賞・春と、社台グループの有力馬で惨敗。これを機に、有力馬の騎乗依頼がとだえてしまった。まさに辛抱の時期でしたね」
社台グループ幹部からは「ユタカを乗せるな」という指示が出たとの説や、後方追走で脚を余して「タメ殺しの豊」と揶揄されることもあった。
武の低迷については、武を慕う後輩で今年の夏に引退した藤田伸二元騎手が、13年5月の著書「騎手の一分」の中でも触れている。有力馬主や大手クラブとの確執を明かしつつ、エージェント制度の弊害を大きな理由としてあげ、騎乗技術が落ちたのではなく「強い馬に恵まれるかどうかに尽きる」と論じたのである。