特に武は後輩たちの海外挑戦をずっと後押ししてきた。競馬ライターもこう言う。
「豊さんは、10年以上も前から『いろいろなところに出て行ってアピールしなさい』と言い続けている。フランスの自宅を池添謙一(39)に貸してあげていたこともあった。豊さんは弱冠20歳で日本ナンバーワン騎手と呼ばれ、その頃から海外に挑戦。最初は米国のアーリントン競馬場で2戦目に初勝利した。『日本で競馬をやっているのか?』なんて聞かれながらも、実績がまったく役に立たない中で数少ないチャンスを生かした。そして認められて00年には米国に拠点を移し(01年と02年はフランス)、今の地位を築いたんです」
とはいえ、その成功談をことさら持ち出して後輩たちに「海外挑戦」を勧めることはないという。競馬ライターが続ける。
「豊さんは私に、同じ年で関西出身の野茂英雄さんの話をするんですよ。『野球が好きで、米国で野球がしたいから、行ってくるわ』という親友の言葉に僕も背中を押されたと。『騎手という職業が好きだから、競馬先進国に行こうと。海外挑戦のきっかけは単純に憧れ。あそこで乗ってみたいな、という気持ちに従っただけ』だと話してくれました」
この「競馬が好きだから」というシンプルな考え方が、スランプに陥った菜七子を覚醒に導いたという。美浦トレセン関係者によれば、
「彼女は17年10月からコンスタントに毎月1勝できるぐらいに成長していましたが、昨年3月は未勝利に終わった。4月14日に通算26勝目をあげたものの、また1カ月以上も足ぶみが続いたんです」
トンネルの出口が見つからない菜七子は、5月16日に奥村武厩舎の歓迎会の席で、30分近くも深刻そうな面持ちで奥村調教師に相談する場面があった。
「あとで聞けば『騎手という職業が好きなら、もっとポジティブに競馬に向き合ったほうがいい』という旨の助言をされたそうです。彼女の口癖は『すみません』だったからね(苦笑)。騎乗後の報告にしても、反省や馬の欠点の指摘ではなく、次回の乗り方だったり、馬の長所を伝えるだけで、スタッフも笑顔になるだろうと。それは武の『競馬が好きだから』という向き合い方にも共通している。奥村先生や武の言葉によって殻を破ってきた」(美浦トレセン関係者)
その3日後のレースで勝利すると、6月以降は毎月2勝以上する活躍を見せ、一気にJRA女性騎手の通算&年間勝利数の記録を塗り替えたのだ。
「この頃からノビノビしてきました。優等生っぽいきまじめなイメージから、お母さんが言う『家ではサザエさんみたいな子』という表現どおりの雰囲気に変わってきた(笑)。トークショーでも、海外で買い物中にクレジットカードをなくした失敗談などを披露したりね」(スポーツ紙記者)