ミステリアスで都会的、さらに美貌の内側には目もくらむような豊満な乳房が隠されている‥‥。80年代のシネマ&ドラマシーンに彗星のごとく現れた高樹澪は、記憶に鮮やかな女優であった。長らくの闘病生活を乗り越えた今、自己の革命だった「1981年」を振り返る。
銀行員時代はバスト102センチ
「私がこのまま銀行にいても、皆さんとズレがあるかもしれません。申し訳ないですが辞めさせてください」
高樹澪(52)は高校を卒業すると、第一勧業銀行(当時)に就職した。企業の当座預金の業務を担当しており、日に400件もの処理を行う。時代はバブル期に向かう直前で、高樹が勤める銀行の預金額が初めて1兆円を超えるなど、好況に沸いていた。
そんな毎日にあって、高樹は孤立していた。高校生の頃から「群れること」と一線を画し、その自立心は「マニュアルがすべて」の銀行においては煙たい存在であった。
「いじめにあっても私は泣かないけど、ただ、ここが住む世界ではないと思ったんですね。20歳になる少し前、上司に辞めることを了承してもらいました」
その少し前にはイギリスに旅立って仕事を探したが、急激なインフレにより滞在を断念。ふと浮かんだのは、小学校を卒業するまで子役だった経験を生かし、映画のスタッフになることだった。
もっとも、高樹のエキゾチックな美貌も、群を抜くプロポーションも「裏方」のままに終わらせてはくれない。まだグラビア全盛ではない時代だが、細身の外見からは想像もつかない“武器”があった。
「銀行員になったばかりの頃は、バストは102センチありましたね。まともなブラが見つからない感じでしたし、お尻もパーンと張っている体型。銀行員のブラウスのボタンが飛んじゃうこともあったし、電車に乗ると後をつけてくる人もいましたよ」
男は顔じゃなく胸しか見ない――そんな「男性恐怖症」に悩んだ時期もあったが、新天地においては自分の体と向き合えた。
高樹は、勧められるままに1本の映画のオーディションを受ける。サザンオールスターズを擁するアミューズが映画制作に乗り出した第1作「モーニング・ムーンは粗雑に」(81年/アミューズシネマ)である。サザンの楽曲をメインに、音楽ムービー的な構成だった。
「オーディションは最初、次点ということで落とされているんです。ただ、いったん決まった方がNHKの朝ドラに決まってしまい、辞退ということで私が繰り上げ当選になって。再び監督と顔合わせをしたら『やる気はあるのか?』って、何度も念を押されました」
オーディションの段階から台本には目を通していた。そこには、しっかりとベッドシーンが描かれてある。それでも、不思議と抵抗はなかった。
いざクランクインしても、生々しさを避けたベッドシーンの演出だったため、過度な緊張もなく撮影に臨めた。「音楽監督」という立場の桑田佳祐は、初対面の高樹をこう表現した。
「澪ちゃんって、シュミーズにお醤油のシミがちょっとついてる感じだよね」
下着をシュミーズと呼ぶあたりが桑田流だが、その発言が意味するものは、高樹のクールなだけでない一面を指してのこと。この言葉のあと、桑田は劇中歌の「恋の女のストーリー」を5分で完成させた。サザンも高樹もそれぞれに歌ったバージョンがあるが、イメージは高樹に向けて作られている。