74年に「あなたにあげる」で歌手デビューした西川峰子は、その豊満な肢体を武器に、80年代の邦画界に欠かせぬ女優となった。とりわけ五社英雄の監督作では、1作ごとに「女優魂」が烈しく燃えさかる。失敗を許されぬ極限の撮影は、まさしく“伝説”と呼べるものだった――。
役が決まったのは撮影8日前
〈誰でもいいからさ‥‥抱いておくれよ。ねえ‥‥噛んでよ、ここ。ここ噛んでここ! 噛んでよおっ!〉
西川(現在は仁支川)峰子(53)は、肺病で心身に支障をきたした女郎・小花に扮している。もはや焦点の定まらぬ目で、閉じ込められた布団部屋で、乳房もあらわに絶叫を続ける。
かつては吉原でも「中梅楼の御職」につく売れっ子だったが、無理がたたって女郎としての職を失ってしまう――。
87年に公開された「吉原炎上」(東映)は、峰子の代表作と自他ともに認めている。
「日本中どこに行っても、あの『吉原炎上』の最後の場面がすごかったって言われるのよ」
90年代半ばにテレビの官能描写が厳しくなるまでは、何度となく地上波でオンエアされた。そのため、日本映画の潜在的な視聴人口としては「犬神家の一族」(76年)と並び横綱級とも称される。
主演は名取裕子だったが、インパクトとしては峰子の絶叫シーンのほうが大きく上回る。血を吐きながら、男を求めて叫び死ぬ描写に、ある種のトラウマを植えつけられた視聴者も少なくない。
「でも私の役が決まったのはクランクインの8日前だったの。小花の役だけが最後まで決まらなくて、五社監督が推薦してくださって。そのせいか、口さがないスタッフの中には『監督は峰子ちゃんと怪しいんじゃないの?』と言ってる人もいたわね」
80年代の五社英雄は、女流モノでヒット作を連発した。峰子は「陽暉楼」(86年/東映)で、初めて“五社組”の一員となる。そこで目にしたのは、五社美学の象徴である「鮮烈な赤」の使い方。ヒロインの池上季実子と浅野温子が取っ組み合う場面で、赤い腰巻きが見え隠れする。それだけで映像の威力が倍増したと峰子は思った。
「監督の好きな赤には、情熱もあるし、悲しみも苦しみも込められている色だと教わりましたね」
そのすべてを爆発させたのが、伝説の布団部屋のシーンである。真っ赤な布団が敷きつめられ、鮮血を吐きながら死んでゆく。当初の台本にはなかったが、撮影が進むうち、監督と美術スタッフがアイデアを出し合って「赤づくし」の設定になった。
同作に出演した新劇の大女優である二宮さよ子は、あえて舞台育ちの大仰な芝居を抜くためにテストを30回も課せられた。それが峰子の場合は、テスト1回のみで「本番!」となる。
「五社監督は女優のタイプを見極める人だから。私はテストが多いと飽きちゃう性格だし、パッと肝が座っちゃうほうだから、本番まで時間がかからない」
ではあったが、布団部屋のシーンは全スタッフが緊張感に包まれた。監督の「この撮影は一発だ」の声が、失敗を許されない合図となった。
画面上は、うず高く積まれた赤い布団の中に峰子が1人だが、布団の中には十数人ものスタッフが、波のように布団を揺らす係として潜んでいる。また峰子の付き人が、血のりのビンを持って真横に控えていた。
かつて峰子扮する小花を姉と慕った紫(名取裕子)が、階上から小花の異変を見つめている。小花は乳房をむき出しにし、股間を指して「噛んで」と絶叫を繰り返し、吐血しながら体を左右に揺らす。
「最初にガッと血を吐いて、それから左に倒れて、付き人の子が持っている血のりを口に含んで、また右に倒れて血を吐いて‥‥。最後、絶叫してそのまま死んじゃうんだけど、監督の『カット、OK』の声がかかっても放心状態。真っ裸のまま、身動き取れないで固まっていたのね。監督が飛んできて、自分のジャンパーを私にかけて、体を揺さぶってくれてようやく元に戻ったのよ」
階上から見つめる紫は、ポツンとつぶやく。
〈あんた、今まで‥‥いったい、どんな目にあってきたのよ〉
女郎として売れっ子だった時代の小花は、徳川の御典医の家に生まれ、弟を帝大に行かせるために吉原で働いていると言い続けた。それはまったくのウソであり、やがては虚偽の人生が唯一の心の支えとなる。
幼少期に吉原に住んだことのある五社英雄は、女郎たちの哀しみを「赤」に染めて描いた。ラストシーンは表題のまま、吉原一帯を焼きつくす紅蓮の炎が印象的である。