「リンゴちゃん」の愛称で親しまれた美形の80年代アイドルは、やがて、過酷な運命にさいなまれる。愛する者が次々と去ってゆき、自身のタレントとしての位置にも疑問を抱く。そして──突破口となったのは、すべてをさらけ出すことだった。
ツンと上を向いた美しい乳房
「笑いたくもないのに、ニコニコしていなきゃいけないなんて‥‥。私、アイドルは向いていないかもしれない」
辻沢杏子(49)=現在は響江=は、デビューから6年目に苦悶していた。80年にアイドル女優としてデビューし、翌81年には「翔んだライバル」(フジテレビ)のヒロイン・リンゴちゃん役で一躍、ブレイクを果たす。均斉の取れたプロポーションと、目鼻立ちがくっきりしたビジュアルは同世代を圧倒した。
やがて84年には歌手デビューも飾ったが、そこから意識が変わってきたと辻沢は言う。
「もともと私は引っ込み思案を直すために劇団に入り、運よくドラマのレギュラーが決まったんですよ。そういう性格だから、皆さんと作っていくお芝居の仕事は好きでも、1人で目立たなきゃいけないアイドル歌手は性に合わなかった」
大きな転機となったのは86年のこと。苦手だった歌手としての同期デビューで、親友の間柄だった岡田有希子が飛び降り自殺を図る。さらに8年もの交際を続けた恋人が、交通事故で忽然と世を去った。
それ以前からアイドル歌手としてのストレスもあり、10キロ近くも体重が落ちてしまうほど心労が続いた。持っていた下着が、すべて合わなくなってしまったという激やせである。そんな辻沢に舞い込んだのが「大奥十八景」(東映)のオーディションだった。
「その映画で脱ぐってことは知っていましたが、たぶん落ちるだろうって気持ちで鈴木則文監督の面接を受けたんですよ。ところが監督は『キミとどうしてもやりたい』っておっしゃる。軽く考えていた私は、監督の熱意に応えなきゃいけないなって思いました」
親友と恋人が相次いで亡くなり、一時はすべてを投げ出してしまいたい気持ちだったが、考えが変わった。もし、ここで逃げたとしても、同じ壁にぶつかる。それならば、初めてのヌード作に挑戦することで、乗り越えられるのではないかと思った。
「それに加えて、1人でいることが怖かった時期。撮影現場で多くのスタッフやキャストの方といることは、私にとって唯一の救いでした」
演じたのは大奥のお手付中﨟・おすみである。おすみは仲間の自害で怖くなり、江戸城を逃げ出して初恋の相手である町医者・中条源四郎(勝野洋)のもとへ駆け込む。そこで思いを遂げ、初めてのヌードを見せることになる。
ここで際立つのは、デビュー時よりかなり細身になったとはいえ、ツンと上を向いた乳房の美しさだ。ピントを奥まで合わせたり、照明をまんべんなく当てて影を作らないなど、独特の映像美学で知られる鈴木則文の演出が冴えた。これが初めての濡れ場というだけでなく、時代劇も初体験だった辻沢の緊張を解き、美しく撮った。
「伝統ある東映の京都撮影所も初めてでしたから、朝からスタッフ全員に挨拶で走り回りましたよ。後で聞いたら私のために、とりわけ優しいスタッフを集めてくれたそうなんです」