野村氏によれば、X氏は清原容疑者より一回り年上の金融ブローカー。02年前後に知り合い、ブツの調達も行う、といった筋の人間だったという。複数の名前を使い分けていたようで、清原容疑者の黒い交友関係では陰に隠れた存在だ。
「今まで俺から買っていたんやけど、Xから調達するようになったんやろ。それで俺が邪魔になった。それから清原は徹底的に俺を無視するようになったんや」
危険な橋を渡ってきた自分をムゲに扱う清原容疑者に業を煮やした野村氏。05年になるとまったく連絡が取れなくなったという。ついに怒りのマグマが沸騰し、亜希元夫人に告発することを決意する。
「05年の10月、清原亜希本人限定受取郵便で手紙を送った。届かんかったら返送されてくるやろ。けど、今日まで返送されてないわ」
先ほどとはうって変わり、一語一句丁寧に言葉を選ぶ。野村氏は自身の素性を明かしたうえで、以下のような手紙を送ったという。
「清原和博さんと連絡が取れず、非常に心配しています。清原さんと関係があるX氏は清原さんを食い物にしている詐欺師です。清原さん自身に送っても見てくれないと思いまして、先輩のためにも、奥さんの口から『気をつけて』と、注意してあげてください」
字が下手な自分が書いては真剣に受け止められないと考え、代筆を依頼するほど気合いを入れたという。
夫の「黒い人脈」を突きつけられ、元夫人はどうしたのか。
「結局、清原が激怒して連絡してくることもなかった。奥さんがその手紙をどうしたのかはわからんけど、せっかく教えたったのに、何もせえへんかったんやろ」
10年8月には、清原容疑者宛てにも手紙を送ったという。きっかけは07年春に清原容疑者がかけてきた1本の電話だ。06年10月、野村氏が覚醒剤取締法違反で逮捕され、執行猶予の判決が出たあとである。
「俺が取り調べで自分のことをしゃべってないか聞きたかったんやけど、自分から切り出す勇気がなくて『おふくろ、元気か?』とかけてきた。俺の親に会ったこともないのにな。ホントちっちゃいわ。そのあと、10年8月に俺のおふくろが亡くなったんで『母親が亡くなり、生活に困窮しているので香典を送ってください』と、清原に手紙を送ってやったんや」
あの時、手紙が清原容疑者を更生させるきっかけにはならなかったのか──。
記者は、亜希元夫人の所属事務所に問い合わせたものの、回答期限までに返答はなかった。一部報道によると、亜希元夫人は2人の息子たちを海外の系列校に転校させることも視野に入れながら、自身の新ブランドを始動させるという。その記念イベントが3月17日にあり、彼女は逮捕後初めて表舞台に立つ予定だ。
「清原は奥さんや周りに、たくさんの人がいたやろ。こうなる前に、誰かがしっかりと清原本人に言うべきやったやろ」
この日の取材は10時間にも及んだ。激白でカロリーを消費したのか。この日、野村氏は4つの弁当を平らげていたのだった。