「食って食って食いまくるぞー!」と叫び続けて22年──テレビ東京の名物番組「元祖!大食い王決定戦」で長らくMCを務めた中村ゆうじが、4月3日に放送された特番で番組からの卒業を発表した。「大食い」を社会現象にまでし、ギャル曽根などスター選手を生んだ名物司会者が秘話の数々を満腹告白した!
僕、自分のポリシーとしてテレビで涙を見せるのがすごく嫌なんですよ。番組で泣くなんて、多少なりともお笑いをやってる人間にとって恥ずべき行為だと思ってるくらいで。だから冷静に「新しい人にバトンタッチします」ってコメントしようと思ったのに、いやあ、もう完璧に涙ぐんじゃいました(笑)。やっぱり22年の重みが一気に襲ってきたんでしょうね。感情が盛り上がってきて抑えきれなくなったんです。
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苦笑いしつつ、どこか晴れやかな表情で、卒業発表の瞬間をこう振り返る中村ゆうじ(59)。「大食いを卒業」と報じられたのは3月21日のことだ。「大食い」というジャンルを開拓した立て役者の勇退は、世間にも大きな驚きを与え、友人から大量の“安否確認”が届いたという。
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いっぱい電話やらメールやらが来ましたね。しかもテレ東が付けた番組のサブタイトルが「さらば、中村ゆうじ!!」だったもんだから、みんなに「お前、体どっか悪いのか!?」って心配されちゃってね。1年くらい前から、テレ東さんには「バトンタッチさせてくれないか」っていうふうに話していたんです。世代交代して若い選手だらけになってきて、その中に年寄りが1人で交じってるのが恥ずかしくなってきたんですよ。真面目な話、一回の試合につき45分間ずっと、あらんかぎりの声を尽くして実況し続けるのは、僕自身ものすごくダメージを食らうんです。
選手も命がけですけど、僕も命がけ。倒れちゃうんじゃないかってくらい追い込んでMCやってたんで。
番組スタッフにはかなり引き止めていただきましたけど、本当にぶっ倒れて番組に迷惑をかけるわけにはいかないですから、そろそろ身の引きどころかな、と。
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もともと俳優・コメディアンとして活動していた中村が、勝手の違う“レポーター”として起用されたのは1992年、「元祖!──」の前身番組である「TVチャンピオン」だった。
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「TVチャンピオン」は不思議な番組でしたね。超低予算で、そもそも“素人同士が戦う”ってコンセプトがそれまでなかったですから。いちばん最初は忘れもしない「手先が器用選手権」のレポート。スタッフですら「こんな番組は半年も続けばいいだろ」って言ってたら、何やかんやで16年も続いて(笑)。その企画の一つに“大食い選手権”があったんです。僕は最初期には出ていなくて、“初の海外戦”っていう特番から担当するようになりました。
レポートをやり始めてまずわかったのが「あれ? これは俺が主役の仕事じゃないんだ」ってこと。僕は28歳くらいから芸能界で独り立ちして食えるようになったけど、当然ながら“自分本位”でやっていく活動・仕事だったわけです。でもこの番組では、「あくまで選手が主役だ」ってことをまざまざと感じさせられた。
最初のうちは、やっぱり戸惑いましたね。
自分の仕事はいかに選手の個性を引き出してあげるか、それがわかってからもなかなか大変でした。何せ相手は素人さんですからね。しゃべってくれない人もいるし、逆に何言いだすかもわかんない。試合内容の台本があるわけでもないですから、臨機応変にやるしかなかったんです。