新たに明らかになった、隠岐の海の賭博常習実態。春巡業が終わった翌日、八角部屋の稽古場から出てきた隠岐の海を直撃した。
──古市さんをご存じですよね。彼の口から隠岐の海関の名が登場し、野球賭博に相当ハマッていたということなんですが。
「自分にとっては、もう終わった話ですよ」
──レターパックに300万円を入れて、胴元の梓弓に返したんですよね。
「そのことも警察や協会の事情聴取で全部話しましたよ。確かに当時、自分は野球賭博に夢中になっていた。でも反省して、二度と野球賭博はしないと誓い、稽古に励んでいます」
──レターパックの件はまだ明るみに出ていなかった。
「こんなことが蒸し返されて大きく取り上げられたら困るんですけど。自分としては何もかも協会に告白し、やましいところはありません」
なお、豪栄道にも相撲協会を通じてコメントを求めるとともに、「処分のしかたと幕引きはおかしい」という古市氏の主張についての見解も求めたが、締め切りまでに回答はなかった。
相撲界は勝負師の集団だけに、野球賭博のみならず、さまざまな博打に明け暮れる力士が少なくない。
「昔は巡業に出かける夜行列車の中で丁半博打をやっていた。力士はそんな環境の中で育つから、博打に対してまったく抵抗がなかった」(元力士)
日常的に下地があったというのだ。古市氏に実例をあげてもらおう。
「有名なのは、伊勢神宮の奉納土俵入りを含めた巡業ですよ。あそこはね、伊勢神宮の中に宿舎があって、大相撲の一行が宿泊できる建物があるんです。夜になると何百人もが布団を敷いて寝る大部屋では若い衆を廊下に追い出して、関取衆がオイチョカブをやるんですよ。万札が飛び交ってましたね。誰が参加していたか、細かくは覚えていないが、人気力士もいた。ええ、毎年の恒例行事でしたよ。野球賭博が事件になって以来、やっているかどうかはわからないが‥‥」
神聖な伊勢神宮が賭場と化す異様な実態である。
古市氏の実家は大相撲力士を輩出した相撲道場だが、春場所が終了すると、古市氏の父親が押尾川部屋の力士十数名と後援者120~130人を招待して、チャンコ会を開催。夜は夜で、大広間は博打場と化したという。
「親父は小遣いとして、幕下以下の力士には十数万円、関取には30万円を渡していたが、日が暮れると大広間は博打場に変身する。ものすごい熱気でした」