梶原一騎が生誕してから80周年を迎えた今、「梶原家」は大きな問題に直面している。昨年4月6日、児童養護施設の子供を支援するNPO法人「タイガーマスク基金」の名誉会長を務めていた篤子さんが、脳出血でこの世を去ったのだ。長男・高森城氏が苦渋の表情でこう語る。
「母が亡くなり、相続人の誰かが受け継ぎ活用していかなくてはなりませんが、それには家の規模が大きすぎますし、維持費も負担になります。早晩、何らかの形で処分することは避けられないかもしれません‥‥」
69年8月、東京都練馬区大泉に購入した約170坪の土地に建てられた豪邸は門から玄関の床に大理石が敷かれ、家の中にある応接室の入り口は、自動ドアが設置されている。応接室には酒好きの梶原氏が出版関係者らを招く目的でホームバーも造ったが、やがて本人は夜の街に消えることが多くなり、家で飲むことはあまりなかったようだ。
しかし家主のいなくなった部屋には、今も貴重な原稿の数々や、トレードマークのサングラスなどが往時のまま置かれている。
自宅のある練馬区は、日本アニメ発祥の地として知られ、90社を超えるアニメ制作関連会社が集まっている。その場所に「梶原一騎資料館」があれば、また町の名所として魅力が増すと思うのだが‥‥。
「練馬区の行政関係者の方に相談していますが、今のところ、具体的なお話には至っていません。父は熊本県とも縁があるので熊本に資料館を建てることも検討したのですが、今回の地震によって実現は厳しくなりました。資料館として残すことは母の希望でもあり、ただ作品を並べるだけではなく、訪れたファンが当時のままの空間を楽しんでもらうために、どうすればいいのか。行政や皆さんの力を借りて、できるだけ残す方向で模索しています」
3月下旬には、東映アニメーション60周年企画の一環として「タイガーマスク」のアニメ化が発表された。それでも城氏にはやりきれない思いが残っている。
「最近、格闘技関係者と話をする機会がありました。現役のチャンピオンでも梶原作品を読んだことがないそうで、とてもショックを受けました。このまま父の作品が埋もれてしまう前に、何とか行動に移して、次の世代に伝えていきたいです」
試練との闘いこそ梶原作品の真骨頂。父の名を冠した数々の「傑作遺産」をどう守っていくのか。闘いのゴングは鳴ったばかりだ。