30分で5万円の即席ショー
本誌に掲載された手記を覚えているという山口組系の元ヤクザはこう話す。
「あの頃は、寛平の世話をしたという親分さんはぎょうさんおったで。親分のところに、寛平が遊びに行くやろ。すると、そこの若い衆が近隣のスナックやら飲食店を案内して回るわけや。そこで、寛平は酔客を相手に『おっさんアホか~』とかギャグをかまして、即席ショーを開くんや。1軒で30分ぐらいやって、5万~6万円のギャラを受け取る。大阪には『間寛平の店』と看板を掲げるスナックがあったほどや」
寛平といえば、70年に吉本新喜劇の研究生となり、その4年後には座長になっている。木村進(61)とのコンビで、関西ではそれなりの知名度があった。それでも、ヤクザの世話にならざるをえない事情があった。
「吉本はギャラが安いやろ。当局がとやかく言う以前の80年代半ばぐらいまでは、親分たちの世話になって、歓楽街を営業して回る吉本芸人は寛平以外にもおったわ」(前出・元ヤクザ)
まさに、逮捕された服部容疑者が寛平との関係を築いたのも、こうした背景があったのだろう。
本誌は95年に手記を寄せた組長の消息を訪ねた。前出の恐喝事件の刑期を務め上げ、10年ほど前に出所していた。現在は、カタギとして暮らしていた。
そして、再び寛平を巡り、恐喝事件が起きたことに関して、こう話した。
「先日、報道で事件を知った息子から『オヤジがやったんかと思うた』と電話もらったぐらいです(笑)。ワシはもうカタギになってずいぶんたちますから、何か言える立場ではない。ただ、ワシの経験から言えるのは、寛平という男は恩を恩とも思わない。義を義とも思わん男やったということだけですわ」
もちろん恐喝行為が許されるわけはない。しかし、今回、逮捕された服部容疑者にも同じような思いがあったのではないだろうか。
「服部容疑者の親族は『寛平とは家族ぐるみのつきあいで、金を貸したこともあった』と話しているそうです。服部容疑者も突然、寛平から縁を切られて、恩を仇で返されたという思いがあったのではないでしょうか」(前出・社会部記者)
寛平が上手に「恩返し」さえしておけば、山口組との関係が浮上してくることはなかったのかもしれない。かつて、芸人とヤクザが肩を並べて歩いた時代があった。今となっては、ヤクザにとっては古きよき時代であるが、芸人にとっては消し去りたい過去となっているのだから‥‥。