樹木希林は芸名を〝売却〟
インパクトのある芸名には、それなりの理由があることが多い。その典型が、昨年に夫の内田裕也が逮捕。今年はオセロ・中島知子が家賃滞納したマンションが娘婿(本木雅弘)の所有だったりと、本業以外でも波乱万丈なベテラン女優・樹木希林(69)だろう。その経緯が一風変わっている。
「デビューは61年。当時の芸名は『悠木千帆』。ところが77年、テレビ番組のオークションコーナーで『他に売るものがない』という理由で自分の名を競売にかけたところ、2万2000円で落札されたのだ。落札したのは彼女の知人の会社経営者でした」(古参番組スタッフ)
現在は、その経営者から無償で譲り受けた女優が「悠木千帆」の名を使用して、いまだ現役というから驚きである。
ちなみに〝売却〟後に付けた樹木希林は、彼女が信仰する宗教団体「希心会」から一字取ったものと言われている。
演歌の大御所・五木ひろし( 64 )は、2度の改名で不遇の時代にピリオドを打った苦労人。65 年に「松山まさる」の名でデビューし、シングルを3枚発売するもヒットに至らず、レコード会社から契約を解除された。70年に「三谷謙」としてオーディション番組「全日本歌謡選手権」(よみうりテレビ)のグランドチャンピオンに輝き再デビューの権利を獲得し、翌年、新芸名を五木ひろしとした。名字の「五木」は作詞家の山口洋子が作家・五木寛之氏からもらったという。「いいツキをひろおう」
という語呂合わせの意味も込められている。
バラエティタレントとして再ブレイクを果たした岡本夏生(46)は、デビュー当初、「早川ゆうき」の名で活動していた。しかし、所属事務所を移籍した際、事務所の先輩に工藤夕貴がいたため、事務所スタッフから「紛らわしいから替えろ」と言われた。宣伝用パンフレットに印刷するため2時間以内で決めなくてはならなかったため、当時活躍していたプロゴルファー・岡本綾子から名字を、当時働いていた銀座のクラブで一緒に働いていた仲間の源氏名をパクって付けた。この執着のなさこそが、芸能界で生き残るうえで、最大の武器かもしれない?