それは引退の直前、05年10月のことだった。幕下に転落し、体もボロボロだった濱風親方はすでに、「引退後」をニラんで動いていた。
「高橋さん、年寄株取得は手付け金を打って進めたい。とりあえず1360万円が必要だ。きちんと借用書を入れるから、ぜひ用立ててほしい」
濱風親方から高橋氏に、こんな連絡が入ったのだ。
「我が家では家内が金銭を管理している。相談したら、いいだろ、ということで、彼の口座に振り込んだ」(高橋氏)
これが10月25日のことで、銀行の振込受付書に加え、同日付で濱風親方が署名捺印した借用書も存在する。弁済期日は「平成18年(06年)10月31日」となっていた。翌06年、濱風親方は再度、高橋氏に金銭の協力を要請する。
「年寄株の受け渡しの時に残金を渡さなくてはならない。(濱風親方は)七十七銀行(本店・仙台市)から5000万円の融資を受けることになった。『ついては連帯保証人になってほしい』と言う。さらに『あと3000万円足りない。貸してほしい』とも。家内と話した結果、これも親方株が担保になるならいいだろう、ということで06年9月21日に、3000万円を(濱風親方の)銀行口座に振り込んだ」(高橋氏)
これにももちろん、濱風親方が署名捺印した借用書が残された。こちらの弁済期日は「平成19(07年)年10月31日」である。
七十七銀行から借り入れた5000万円の金銭消費貸借証書の資金使途欄には「大相撲年寄株取得資金」と書かれている。支払い方法は、06年12月26日から毎月の合計180回払いで、弁済期限は21年11月26日。しかし、年寄株取得のためには、まだ2000万円ほどが不足する。濱風親方の説明によれば、佐渡ケ嶽親方(濱風親方は07年11月に、間垣部屋から佐渡ケ嶽部屋へ移籍することになる)と名古屋の後援者から、1000万円ずつ都合してもらったという。
念願かなって06年11月、ついに濱風の年寄株を取得。これに先駆けて、9月には都内のホテルで断髪式に臨んだ濱風親方はその後、都内のホテルで「濱風襲名」披露を行った。
「断髪式で最初にハサミを入れたのが、故・一力一夫氏(河北新報社・社主、横綱審議委員会第8代委員長)。次が私だった」
高橋氏が用立てた4360万円について、濱風親方はやがて、弁済期日をそれぞれ1年間延長した新たな借用書を持参した。しかし、その後、1円の返済もなかった。
「元金、利息もまったく受け取っていなかった」(高橋氏)
11年、状況は一変する。高橋氏が30年経営していた会社が倒産したのだ。高橋氏はやむなく自己破産を選択し、濱風親方との関係にも微妙な風が吹き始めた。