テリー まむしさんは日芸(日本大学芸術学部)ですよね。ということは、当時映画を撮りたかったんですか?
毒蝮 おっ、さすがテリーだね。「ウルトラマン」とか「笑点」に出てた俺しか知らない人だと、普通、演劇科だと思うじゃない? 実は、映画学科の演出コースなんだな。映画作家になりたかったの。
テリー 当時、どんな映画が好きだったんですか?
毒蝮 そりゃあ黒澤明ですよ。「七人の侍」は当たり前、「どん底」や「姿三四郎」も好きだったな。やっぱり当時、映画作家になろうって連中は、あの黒澤明の映像美に憧れるよね。
テリー まむしさんにしちゃあ、ちょっとカッコよすぎますよ(笑)。
毒蝮 まあまあ。役者のデビューは舞台だけど、映画出演も多かったから。実はテレビドラマのほうは、あんまり出てないからね。
テリー でも、「ダイヤル110番」とか出てましたよね。
毒蝮 そうそう、よく知ってるな。
テリー これまた日本テレビなんだけども、そういう刑事ドラマがありまして。
毒蝮 まだ俺が本名の「石井伊吉」の時だな。
テリー そうです。駅のホームに止まっている電車に乗ったまむしさんの姿がすごく印象に残っていて。
毒蝮 あー、わかった! 長野へロケに行った仕事だ。実は俺が犯人じゃないんだけど、犯人と誤解されている話で、「状況証拠」ってタイトルですよ。
テリー すごい、記憶力がいいなぁ!
毒蝮 刑事役は井川比佐志だったかな。信越鉄道か何かに乗って、電車のドアのところで俺が手を振ってニッコリ笑って。
テリー そうそう、そうです!
毒蝮 状況証拠があるけど、それだけじゃ犯人は逮捕できないって話だった。今でもあるよね、そういう話。あれ、俺も好きなドラマで、よく覚えてるよ。
テリー 今、まむしさんが話した場面、ものすごく印象に残ってるんですよ。まだ僕は子供でしたけど。
毒蝮 50年以上前だ。まだテレビも白黒で、VTRもない頃だもんな。
テリー その時に「石井伊吉」という役者の名前を覚えたんですよ。だから、まむしさんが「笑点」に出始めた時にちょっと複雑な気持ちもあったんです。だって僕にとっての名優が、何で大喜利で座布団を運んでるんだって。
毒蝮 ワハハハハ! それはもう俺の中でも想像を絶する格闘があったんだよ。だって普通、「毒蝮」なんて名前にわざわざなるか?
テリー ですよね。今だったら(ビート)たけしさんが玉袋筋太郎とか水道橋博士とか、いろいろな名前を付けてますけど、当時の芸名として考えたら‥‥。
毒蝮 名前を考えたのは立川談志ですよ。あとになって「お前、シャレで言っただけなのに、よく付けたなあ」って言ったんだけど、全然シャレじゃないのよ。何度も何度も「毒蝮になれよ」って口説かれたんだから(笑)。だから俺も「シャレで受け取っちゃえ」って。
テリー しかし、キツいシャレですよね(笑)。
毒蝮 まぁ、談志も江戸っ子だけど、俺も品川生まれの浅草育ちの江戸っ子といえば江戸っ子だからね。まあ一種のゲームよ。「そんなに言うなら、やってやろうじゃねえか」みたいな。