5月31日、ついに判決の日を迎えた清原和博被告(48)。その先に立ちはだかるのは薬物を入手に至った人脈との決別と、真っ当な生活の再建。さまざまな「職業」が俎上に載せられる中、有力支援者による驚きの再生計画が浮上しているというのだ。
3月17日の保釈以降、清原被告はマスコミの前から姿を消す隠遁生活を送っている。
「初公判が開かれた5月17日、退廷した清原被告を乗せた車両を各マスコミが追跡しましたが、ダミーを用意され、逃げられました。支援者が清原被告の日常までを徹底ガードしています」(スポーツ紙デスク)
その支援者の一人とされるのが、都内焼き肉店のオーナー。清原被告が保釈後即入院した千葉県松戸市内の病院前で、張り込む報道陣に差し入れられた焼き肉弁当は、この店のものだった。だが、店長は困惑した様子で「特別な関係」について口を濁すのだ。
「もともと芸能人が来ることが多く、あくまで清原さんもそのうちの一人ですよ。清原さんの裁判や今後? お客さんの一人にすぎず、特に関心は‥‥」
一方で、この間の清原被告に住居を提供するなどしているとされるのが、都内でサパークラブ「N」を経営する格闘家のI氏である。I氏は自身のブログで、清原被告とバイクを2人乗りする写真を掲載するなど、かねてから親密なつきあいを重ねてきた。清原被告が心を許す数少ない存在の一人である。
「ただ、I氏は清原被告を物心両面で支え続けるには、資金力の面で不安があると言われています」(I氏を知る飲食店関係者)
そこに急浮上したのが、「最有力支援者」Y氏の存在だった。
「清原被告は巨人時代から、広島に遠征するたび、市内の『M』というラーメン屋に足を運び、経営者のY氏と昵懇の仲でした。店内の壁には清原被告が書いた、通算500本塁打記念の直筆サインが飾られ、写真も多数貼られています。Y氏は『K』といううどん屋も経営していましたが、その店の看板の題字を書いたのは清原被告。当時の巨人担当記者の間では有名な話ですよ」(前出・スポーツ紙デスク)
広島の飲食店関係者も説明する。
「広島の多方面に顔が利く実業家です。13年には新たに焼き肉店を開店するなど、資金力は豊富。かつて、膝痛を抱える清原被告に治療院を紹介したこともあるそうですが、一説には“シャブ抜き”ができるところも紹介したと‥‥。2歳年下のY氏は清原被告を『東の番長』と呼び、清原被告はY氏を『西の番長』と呼ぶほどだった」
Y氏のフェイスブックには、先のI氏を交えて清原被告とゴルフに興じる写真や、飲食店で同席する様子なども掲載されるなど、親密さがアピールされている。Y氏は資金同様、球界人脈も豊富で、フェイスブック上では中田翔(27)、中島裕之(33)、OBでは稲葉篤紀氏(43)、石井貴氏(44)らとの交遊を示す写真も見ることができるのだ。