「試合の前に、アリは後楽園で行われた猪木さんの公開練習を見たんですよ。それであまりの迫力ある技に危機感を募らせたんです。そこで、あれはダメ、これもダメとルールの変更を申し出た。でも、猪木さんは全部受け入れた。それもこれもいまさら引くに引けないから。世界一決定戦を実現するためでした」(坂口氏)
新間氏によれば、猪木の公開練習を見たアリは、
「こんなのやられたら、ボクシング人生は終わりだ」
とまで口にしていたという。
さて、猪木にとってがんじがらめのルールとなった試合が動いたのは、6ラウンドだった。
「あの時、猪木はアリを捕まえて倒し、肘打ちが一発入った。アリが必死になって猪木にしがみつくと、猪木は腕を取っていた。しかし、レフリーのブレイクのひと言に猪木はすぐに離したんですよ。もし、この時、反則覚悟で腕をきめてしまえば、アリは戦闘不能となって猪木が実質勝っていたでしょう。しかし、それをしなかった。だからこそ、アリからリスペクトしているという最大級の賛辞を贈られたわけです。しかし、もしケガをさせていれば、猪木と私は生きていられなかったかもしれない」(新間氏)
坂口氏も言う。
「アリが倒された時にはセコンドの何人かがリングに上がっていた。アリに何かあれば、試合をぶち壊してやる。そういう顔をしていたね。で、我々はといえば、身を挺して、それを止める覚悟でした」
この殺伐感──。ドローこそがアリにとっても猪木にとっても最良の幕引きだったのだろう。
アリ側とは試合後、カネで揉めた。
新間氏が回想する。
「再三再四、一方的にルール変更してきたことに抗議するため、後払いの120万ドルをペンディングしていたんですよ。すると、アリ側からその120万ドルにペナルティを加えた3120万ドルを支払えという裁判を起こされた。これは私の責任にされ、営業本部長から平社員に降格されました。数カ月後、この問題をアリ側のプロモーターのハーバード・モハメドと話し合うため、渡米しました」
新間氏は渡米前、僧侶の実父から、心で話し、心で聞き、心で見るようアドバイスされた。そうすれば、必ずや誠意は通じるというのだ。
「アントニオ猪木はあの試合のため、どれだけの債務を背負って、苦しみを乗り越えながら、毎日試合を続けているか。そのことをハーバード氏に伝え、『今話したことは心で話し、その返事を心で聞き、あなたを心で見ている』そう話したんです。すると、彼はいたく感動し、誰の言葉だと聞いてきた。それで父だと答え、猪木の危機を何とか救ってほしいと請うたんです」
ハーバード氏との交渉は一気に進み、裁判を取り下げるということになった。
「話し合いは成功し、猪木の債務はなくなった。そればかりか、次のタイトルマッチであるアリVSレオン・スピンクス戦に猪木、倍賞美津子夫妻を招待すること、そして、猪木VSアリの再戦をエキシビションマッチで行うことも約束してくれたんです。会談が終わると、ハーバード氏がアリに電話を入れて私に代わってくれた。私の耳元でアリは『センキュー!』を4度も繰り返し、最後に『センキューベリーマッチ!』と──。猪木に対するリスペクトがあふれ出ている言葉でしたね」