モハメド・アリVSアントニオ猪木の「格闘技世界一決定戦」から40年──。試合が行われた6月26日は「世界格闘技の日」となったが、今月3日、その日を待たずしてモハメド・アリが息を引き取った。享年74歳。世紀の一戦を仕切った当時の新日本プロレス専務・新間寿氏、副社長・坂口征二氏が、「ザ・グレーテスト」の在りし日をしのび、秘話を語り尽くした。
「今だから言えるが、猪木も私も、もしアリにケガでもさせてボクシングができなくなったら、背後に控えるアリ軍団に殺されると思っていました。いや、これはオーバーな話ではありません。それくらい彼らには不気味な迫力があったんですよ。一方でアリ自身も、はたして猪木はルールを守ってくれるか、気が気でなかったようです。事実、猪木が約束を守ると、アリは『彼をリスペクトする!』と最大級の賛辞を贈ったほどなんですよ」
こう語るのは、世紀の一戦実現に向けて奔走した仕掛け人・新日本プロレス元専務の新間寿氏だ。
アリは立ったまま、猪木は寝たままの状態で、試合が進行し、結果は引き分け。そのせいか、当初は「世紀の凡戦」と揶揄されたが、最近では試合が再評価され、試合が行われた日が「世界格闘技の日」と認められるようになったほどだ。
「でも、私から言わせれば、ふざけんじゃないということになる。『アントニオ猪木・世界格闘技の日』とするのなら、わかりますよ。誰もやらないことを男の夢として実現していこうってことでやったんだ。アントニオ猪木の文字が入って当然でしょ。実際、ものすごく大変でね。あの時も試合の3日前、アリ軍団が深夜、ホテルの私の部屋に押しかけてきて、アリがサインしたファイトマネーは勝ったほうが総取りとする同意書を返せと言う。中には壁にもたれてナイフを研ぐのもいた。もう、生きた心地がしませんでしたよ」(新間氏)
当時、副社長だった坂口征二氏(現相談役)は言う。
「相手はボクシングヘビー級の現役チャンピオンでしょ。当初、世間はプロレスラーが対戦なんてできっこないと見ていた。猪木さんと新間は不可能を可能ならしめる最強コンビでした」
そもそも世紀の対決が実現したのは、アリが日本レスリング協会の八田一朗氏に、
「誰か東洋人で俺に挑戦するやつはいないか」
と話したことがきっかけとされる。
「75年6月、マレーシアで防衛戦を行ったアリはトランジットで東京に立ち寄り、記者会見を開いた。猪木は相手をお探しなら、応じますよと挑戦状を突きつけたんですよ。それに日本中のメディアが一斉に飛びついた」(新間氏)
何しろ、ファイトマネーはアリが600万ドル(約18億円)、猪木が6億円だったというから桁外れだ。
調印式で猪木の挑発に乗ったアリが「勝利したほうが総取り」という同意書にサインしたものの、前述したようにその日の深夜、アリ軍団が新間氏の部屋に取り返しに来たというのも金額を考えればうなずける。
「いや、それだけではありませんよ。アリサイドはそれから次々とルール変更をして、それをこちらに飲ませた。そして、片手か片膝をリングについての攻撃しか認めないという、無理なルールになったわけですよ」(新間氏)