秋田県の山間部に位置する鹿角市。人口3万人ののどかな市が、突如として日本全国に知れ渡った。「クマが人を餌にする」──平成最悪となる4人の死者を出した殺人ツキノワグマ。その人喰い現場へ潜入し、事件の一部始終と深層を、暗い山林から白日の下に引きずり出す決死のルポルタージュ!
遺体の顔には鋭い爪と牙の痕跡が。腹は裂かれ、肉や内臓は喰い荒らされていた。枯れ落ちた竹交じりの土は。亡骸を覆うように上からかけられていた。捕獲した餌を奪われないよう隠すかのように──。
1915年12月、北海道の開拓地・苫前郡苫前村(現・苫前町)で死者7人、重傷者3人を出し史上最大の獣害事件として語り継がれる「三毛別羆(さんげべつひぐま)事件」から100年。再び野生のクマの恐ろしさを世に知らしめる「人喰い」事件が起きた。
現場は、青森県との県境にある秋田県鹿角(かづの)市。市街地から車で45分ほどの十和田大湯田代平(たしろたい)の山中だった。獰猛で知られるヒグマではなく、死亡事故がきわめてまれなツキノワグマによる被害だったことも、衝撃をさらに大きくした。
市内在住の高瀬佐市さん(79)が無残な遺体で発見されたのは、5月21日のこと。それから最後の犠牲者である青森県十和田市在住の鈴木ツワさん(74)の遺体が発見され、クマが射殺された6月10日までの21日間で、4人の人命が無慈悲に襲われた。地元・鹿角警察署の担当者が凄惨な状況を語る。
「通報・発見が早かった2人目の犠牲者・高橋昇さん(78)を除いた3人の犠牲者の方々は、ご遺体の発見の際に共通してクマにかじられた跡があった。食べられていたわけです。胸腹部などの柔らかい部分はほぼ全部ありませんでした。中には陰部をまるごと食べられていたり、発見が遅れて腐敗が進んだことで性別がわからなくなっていたものもありました」
射殺されたクマの胃袋からは、大量のタケノコと一緒に被害者の「腕だった肉」が検出された。
この事件には、「タケノコ採り」と「ツキノワグマの激増」の2つの背景がある。
現場の近くには、広範囲に渡って「ネマガリダケ」というタケノコが繁殖している。犠牲者4人は全員、ネマガリダケの採取に訪れていた。このタケノコを採りに来る人の中には車で3時間以上かかる秋田市内からやって来る人もいるというが、労をいとわず遠方からも訪れる理由は、それを売るためである。現場近くに車を止めていた市内在住の60代男性が、匿名を条件に話してくれた。
「1キロ300円から400円で売れるんだ。業者が近くに車止めて待ってで、そこで買い取ってくれる。みんなだいたい40キロや50キロぐらいは採るもんだがら、いい稼ぎになるんだ」
片側1車線の細い県道の両脇には、竹やぶを潰してできた畑が広がる。真横に伸びる道を行くと、畑の縁のすぐ向こうに鬱蒼と茂った細い竹が群生。そこがネマガリダケの採取場であり、事件現場である。
ネマガリダケは、普通のタケノコに比べてかなり細く、柔らかく味がいいという。この男性はやはり“名所”である青森県八甲田連峰で採ったものを売りに来ていた。車に積まれた大きな袋の中には、土まみれのネマガリダケがぎゅうぎゅうに詰まっていた。50キロのネマガリダケで、1日約2万円の収入が得られる。
2015年に厚生労働省が発表した「賃金構造基本統計調査」によれば、県別の平均年収で秋田県は362万8500円、青森県は358万6900円で、それぞれ47都道府県中45位と46位。全国1位の東京都は623万5400円だが、格差社会が生んだこの地方の窮状に、事件の深層が潜んでいると言えそうだ。