「支える会」からの調査依頼
04年6月某日、私の携帯電話に見慣れない番号から着信があった。電話の向こうの声は知人女性だった。「『東電OL殺人事件』を知っているよね。実は冤罪事件で再審請求をするので協力してくれないかな」
聞けば、彼女は「無実のゴビンダ被告を支える会」で活動をしているという。この団体は今回、再審開始決定を認めさせた弁護団とともに、服役中のゴビンダ元被告を支援していた。そして、再審請求のために、新たな現場での目撃証言を集めて欲しいというのだ。
今から思えば、ちょうど再審請求をする1年前のことだ。しかし、私は躊躇していた。事件からすでに7年目を迎え、人々の記憶は風化している。事件当時、大挙して取材をしていた報道陣が聞き出せなかった目撃証言を取ること自体、至難の業と感じたからだ。
「それでもやってみなければわからない」
そんな彼女の前向きな姿勢に共感する部分もあった。そして、ゴビンダ元被告の裁判資料を読み、自分なりに冤罪である確信も得た。2カ月間、「支える会」と協議した結果、正式に依頼を受諾。04年8月19日から円山町での独自調査を開始した。
この調査の最大の目的は、被害者が他の男と例のアパートに出入りする姿を目撃した人物を探すことだった。
7年という歳月は厚い壁であった。その反面、事件当時は閉口していた人々が、再び話し始めるまでにはちょうど良い期間でもあったのだろう。おかげで多くの情報が集まってきた。
「あの店のマスターは被害者の売春客の1人だった」
「あの雀荘に来ていた遊び人は被害者と揉めていた」
「この界隈のホテルに派遣されていたマッサージ嬢が被害者から金を借りていて、事件後に消息を絶った」
果ては、政治家の息子の名前まで飛び出した。
そんな毎夜、耳にした玉石混交の目撃証言を、私は週1回のペースで「支える会」に文書にして提出していった。精査した上で、調査を続行すべき事象を選り分けていった。
その中で、冒頭の男以外にも重要証言といえるものもあった。近隣の酒屋店員の証言である。
この店員は、97年3月8日午後1時30分頃、被害者が遺体発見現場のアパートのオーナーと歩いている姿を目撃していたというのだ。しかも、楽しげに話をしながら、ホテル街から出てきて、寿司屋に入っていくところまで見たと話した。
被害者の死亡推定時刻は、同年3月9日の午前0時30分である。このオーナーはゴビンダ元被告が住んでいたビルの持ち主でもあった。
この目撃証言を知った弁護団は、この店員との面会を希望してきた。なぜなら、警察が調べた被害者の足取りでは、店員が目撃した時間帯に被害者は五反田のホテトルに勤務していたとあるためだ。弁護団にしてみれば、検察の主張を突き崩せる材料になりうる。
ところが、店員は弁護団の呼びつけるような姿勢に疑念を感じ、証拠作成には応じなかった。
徒労に終わることの多い作業を繰り返しながら、私は冒頭の男への調査を続けていたのだ。