支援者の依頼を受け、「東電OL殺人事件」の調査に乗り出したジャーナリストは“疑惑の隣人”に出会う。そして、彼は事件の迷宮を彷徨いながら、徐々に粗暴な隣人への疑惑を深めていくのだった─。以下は、ゴビンダ元被告が帰国した今だから明かせる「真犯人」に迫った男の400日間の記録である。
定期券を捨てた人物が真犯人
ゴビンダ・プラサド・マイナリ元被告(45)の再審請求の1年前の04年8月19日、私は「東電OL殺人事件」の調査を開始した。「無実のゴビンダ被告を支える会」の知人女性からの依頼を受けてのことだった。
そして、被害者Aさんが遺体となって発見されたアパートがある円山町に通い始めて3カ月後、私は、“疑惑の隣人”に出会う。隣人の名は釜田和夫(仮名)。事件直後に姿をくらまし、ゴビンダ元被告の刑が確定した03年に円山町に舞い戻ってきた。事件当時は客引きの真似事をしていたというが、女を暴力と甘言で支配し、食わせてもらう“ヒモ”のような生活をしていた。
この釜田の存在を私に知らせたのは、ある老人男性だった。「巣鴨で(被害者の)定期券入れが発見されたと聞いて、釜田の仕業じゃないかとピンと来たんだ」
この老人はすでに亡くなっている。その後に知ったのだが、老人は被害者が売春で得た小銭を1万円札に逆両替していた居酒屋「K」の経営者であった。事件直後には、警察の事情聴取にも応じていた。
しかし、釜田のことは警察に話さなかった。それは、釜田からの報復を恐れたためだ。前号でも触れたとおり、釜田は初対面の私に包丁を突きつけた。その凶暴な性格は円山町に住む人々なら知っていた。そして、老人は警察に話さなかったことを悔やんでいた。
それにしても、なぜ「巣鴨」でピンと来たのか。その理由を私にこう話した。「ウチの店にいた板前が釜田と仲が良かった。事件当時、この板前は巣鴨に住んでいて、釜田は板前の家に居座っていたんだ」
この板前は織田良和(仮名)という。80年代に服役していた際に、刑務所で釜田と知り合ったという。調べてみると、事件当時は巣鴨駅前の寿司店に勤めていた。そして、織田は定期券入れが遺棄された場所とは数百メートルの距離にあるアパートに住んでいたこともわかった。
定期券入れが捨てられていたのは、豊島区巣鴨のS荘の庭先だった。その家主が97年3月12日に巣鴨駅前の交番に届け出ている。周囲は2メートルの高さの塀に囲まれ、何者かが外部から投げ入れたものだった。
警察は当初、ゴビンダ元被告が殺害後に定期券を払い戻そうとしたが叶わず、遺棄したと見立てた。ところが、裏づけが取れなかったのだろう。一審では、検察の主張は変わっていた。被害者の所持品にあったイオカードの使用履歴から五反田駅から190円区間の切符を買っていたことが判明。その範囲には、S荘の最寄駅である大塚駅、巣鴨駅があり、被害者がその周辺で紛失した可能性を検察は主張した。
しかし、裁判長は一蹴して、「定期券入れを遺棄した人物が犯行にかかわった可能性がある」と指摘した。
私はどうしても釜田に、そして織田に会わなくてはと思っていた。