「疑惑の隣人」との再対峙!
しかし、私にはまだ光明も射していた。私と釜田を引き合わせたKである。その後も釜田は連絡を取り合っていたのだ。
そして、私はKに「釜田の血液型を聞きだして欲しい」と依頼した。すると、数日後には返答があった。
「O型だって、それがどうかしたの?」
事件発生当初からわかっていたことだが、被害者の体内に残留していた精液はO型だった。私は身震いしたのを覚えている。
そして、ゴビンダ元被告の再審開始を決定づけたのは、現場に残されていた陰毛と残留精液のDNA型が一致したことだった。
イチかバチか、私はKに「釜田に会いたい」と頼んだ。今度は包丁を突きつけられるだけでは済まないかもしれない。それでも会わないわけにはいかなかった。すると、釜田は意外にも面会に応じたのだ。
約束した日時に、私は円山町の料理屋の一室を借り切った。対決の時を待ったが、釜田は姿を現さなかった。Kによると、釜田は私を刑事と勘違いしていたという。
「捕まってたまるか」
そうKに話したというのだ。釜田はいったい何の容疑で逮捕されると思ったのだろうか。
以降、釜田は再び円山町から姿を消していた。結婚した12歳年上の妻とともに、どこかへと転居してしまったのだ。
私は釜田を探した。「支える会」からの依頼期限は間もなく切れようとしていただけに焦りもあった。
そして、必死に釜田の居所を割り出した。渋谷区とは別の区に転居していた。むやみに接触しては、また逃げられてしまう。そこで、私は釜田の姿を隠し撮りすることにした。その写真をもとに、再び目撃者を探そうと思ったのだ。
そして、私は釜田が住む集合住宅の前に張り込んだ。そんなある日、私が設置したカメラの前に、宅配ピザの配達員がバイクを停めた。バイクが邪魔なので、移動してもらおうと近づいた瞬間であった。
運悪く、玄関から出てきた釜田と鉢合わせになってしまったのだ。
「この野郎! 何しに来たんだ」
釜田は怒声を上げた。私は突きつけられた包丁が頭に浮かび、身構えた。
ところが、釜田は脱兎のごとく逃走したのだった。カメラを手に取り、私は追いかけた。タクシーに飛び乗る釜田を撮影はできたが、釜田は再び行方をくらましてしまう。
事件直前に被害者と釜田が言い争っている姿を目撃したバーのママに、私は撮影した釜田の写真を見せた。もちろん、赤の他人の写真を数枚混ぜて示した。
すると、ママは釜田の写真を指差しながらこう言った。
「この人が似ているけど、もうちょっと痩せていた男だったような‥‥」
この時点で、事件から8年が過ぎていた。その歳月は、人々の記憶を曖昧にしていく。私の調査は歯切れの悪い結末を迎えようとしていた。