真犯人は悠々と生きている
調査期間を終えても、私は釜田を追っていた。その後、釜田が一時、警察に逮捕されていたことも知った。
そのせいか、時折、釜田の姿を夢に見ることもある。釜田は被害者と接点があり、事件直前に被害者と揉めていた男に酷似していた。また、犯行現場に残された「第三者」の遺留品と血液型も一致していた。定期券入れが捨てられた巣鴨に土地鑑も持っていた。今でも「真犯人」の要素を持つ重要人物だと思っている。もちろん、決定的な証拠もなく、断定するつもりはない。
ましてや、私の調査から逃げた男は他にもたくさんいた。遺体発見現場のアパート、そしてゴビンダ元被告が住んでいたビルのオーナーもその1人だ。再三、面会を申し込んだが、居留守を使うなどしてついに会えなかった。
また、Oという被害者の売春の顧客もそうだった。事件直前に、Oは被害者に代金を支払わずに逃げたため、円山町の雀荘にいたところを被害者に詰め寄られたことがあった。動機となりうるトラブルを抱えていたのだ。しかし、Oも私との面会を拒否し続けた。
それでも、私はこうして原稿をしたためずにはおれなかった。釜田の暴力という危険を顧みずに証言してくれた居酒屋「K」の経営者は故人となってしまった。それだけではない。私の調査からゴビンダ元被告の再審開始決定までの間に、多くの円山町の住人が亡くなっている。本稿では触れられなかったが、被害者が通りから店内を覗いていたスナックのママも今年4月に亡くなった。このママからは様々な話を聞いた。こうした人々は真実を知る前に無念のまま死んだのだ。
獄に繋がれていたゴビンダ元被告が15年ぶりに自由の身になった。再審で無罪となるのだろうが、それで事件が終わったわけではない。10年に時効は撤廃されており、捜査当局には「真犯人」を捕まえることができるのだ。ゴビンダ元被告の無念は、これから国賠訴訟も含めて法廷で晴らされていくだろう。
そして、何より39歳という年齢で人生を終えなければならなかった被害者の無念が晴らされることなく残っているのだ。