日本のお家芸ではあるが、五輪の女子柔道の歴史は意外に浅い。昭和最後の開催だった88年のソウルが初採用で、先陣を切ったのが山口香(51)だった。
──初回のみ公開競技ながら、ソウルで女子柔道が五輪の歴史に加わりました。
山口 その代わり‥‥というわけではないけど、男子の「無差別級」がなくなったの。
──駆け引きですねえ、日本の伝統種目を1つ失ったとは。それでも、女子柔道が始まったことは、現在までのメダルラッシュを思えば正解です。
山口 女子の競技数って、今でこそ男子と差はないけど、どれも歴史は浅いの。ロスでマラソンとシンクロ、ソウルで柔道、アトランタでサッカー、アテネでレスリングが始まった形ね。
──スポーツの世界は“男尊女卑”が長かったんですね。さて「女姿三四郎」と呼ばれ、世界選手権を初めて女子で制したのが山口選手。84年のウィーンで、52キロ級で快挙を達成。
山口 私は小さい頃から男子を相手に練習してきたからね。そういえば「女三四郎」という言葉も、私以降はいないと思わない?
──確かに谷亮子の出現以降は「第2のYAWARAちゃん」という表現が多いかもしれません。
山口 だったら私が独占しちゃおう(笑)。
──あっ、アテネと北京で63キロ級の金メダルに輝いた谷本歩実も「女三四郎」でした。
山口 谷本か、ああいう華のある選手がなかなか出てこないのも寂しいね。
──さて記念すべきソウルですが、女子は5人の選手が出場しました。
山口 佐々木光の金メダルを筆頭に、女子は5人全員がメダルを獲ったのよ。ただ、この大会では男子が不調で、特に中量級までが、期待された選手がことごとくコケて‥‥。最後に斉藤仁さんが95キロ超級でようやく金メダルだったけど、それでもムードは“お通夜”みたいだったわね。
──女子が健闘しても?
山口 まだ公開競技だし、男子は背負ってきたものが違うから。これがオリンピックなんだなって思った。
──ところで「女三四郎伝説」として、計量でリミットを超えると、全部脱いで臨んだという話がありますが。
山口 うん、1回だけね。まあ、脱いでも減るものじゃないしね(笑)。女子のアスリートにとっては「17歳の壁」というのがあるのね。ちょうどその頃に女性の体になろうとして、競技には邪魔な脂肪がついてくる。それをコントロールするのも女子の仕事なの。
──よくわかりました。さて、現在は母校の筑波大学で体育系准教授として活躍されています。以前は同大の柔道部女子監督もされていましたが。
山口 今も副部長の籍はあるけど、指導は監督に任せている。ただ、私からずっと続いていた五輪の出場枠が、今回はついにとだえてしまったの。それはゆゆしきことで、今からハッパかけてますよ。次の東京五輪には必ず出せと。
──女三四郎の目に戻っていますね(笑)。