「バー経営」元バラドルが奔放恋愛を告白 「16歳から業界人とばかり付き合ってた」
92年、「New MOMOCO CLUB」でグランプリを受賞、華々しくデビューした矢部美穂(35)。90年代のグラドル全盛期を駆け抜けた彼女が語るギョーカイ事情、そして恋愛秘話とは!?
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現在、タレント業と並行して、世田谷区・池尻大橋でバー「YABEKE」も営む矢部。アイドルを目指したきっかけは学校で受けた“いじめ”だった。
「いじめから逃げるためには、北海道から脱出するしかない、と思いオーディションを受けまくりました」
受けたオーディションの数は約30以上。こうした努力が実り、グランプリに輝いたが、当初は苦労が絶えなかったという。
「いじめにあっていたせいで人と話すのが苦手で、水着の撮影でも表情は作れないし、マイナスからのスタートでした」
今の矢部からは想像もできない話だ。しかし、こうしたトラウマも克服し、数多くの写真集・DVDを発売。テレビでも大活躍する売れっ子となった。
「2日寝ずに仕事をするなんてザラ。でも若かったので平気でしたね。仕事の内容もわからず現場に行って、ぶっつけ本番なんていうこともありました(笑)」
矢部は当時のグラビア事情を振り返り、こう語る。
「90年代は、バブルの影響で深夜番組も多かった。グラビアからバラエティに出て、女優の道に進むこともできたけど、今の時代は大変だと思いますね」
仕事の幅を広げる意味で、日刊スポーツ「矢部美穂の一肌脱ぐわ♪」で競馬予想の連載を始めたが、これがとんでもないことに。
「予想が外れると脱いでいくという企画なのですが、ハズレの連続で。もともと水着までだったのに、新聞社に『いつ全裸になるの?』という投書が殺到して脱ぐことになっちゃったんです」
この潔い脱ぎっぷりが、彼女の魅力とも言える。
そんな彼女、自他共に認める“恋多き女”なのだ。
「恋はたくさんしましたよ。つきあう人は、業界人ばかり。16歳ですでに一回り上のプロデューサーと交際してました。他にも放送作家とか‥‥。おかげでお仕事の面でいろいろアドバイスいただいて、今ではとても感謝しています。そういえば、一度だけレコード店でのデートを写真誌に撮られたことがあります。でも、実はあれ、写真を“撮り直し”してもらったんです」
撮り直しって!?
「こういう写真って掲載する前に編集部が事務所に見せるんですけど、それが彼の自宅前のものだったらしく、あまりにも生々しいので、撮り直しを社長から命じられまして。とにかく奔放に恋ばかりしていたので、社長が心配して私のあとをつけていた時期もありましたね(笑)」
「YABEKE」の出店にもこんな裏話が。
「実は、失恋がきっかけなんです。2年前に本気で結婚を考えていた人に失恋して、飲み屋で店の人に愚痴を聞いてもらううちに、『こういう場を自分で作れたらいいな』って思って」
もし、また水着写真集の話が来たとしたら?
「もうやらないかも。昔みたいにピチピチしてないから(笑)。テレビも、ドラマよりもバラエティのほうを多くやりたいですね。等身大の自分をさらけ出すほうが性に合っているみたいで。あとは『YABEKE』のように、自分がプロデュースしたものを売り出したいですね」
実はもう一店舗、店を出す予定があるのだとか。
グラビアアイドルのみならず、経営者としての手腕もみごとなもの。世の男性諸君も負けてはいられない!