高瀬監督によれば、
「向こうには、民族教育を受けて、日本帝国主義の亡霊のようなヤツらを叩き潰すのは朝高生としての使命、という意識があったのでしょう。ただ、当時、多くの人が、国士舘は国粋的な差別教育を受けていたがゆえに朝鮮高校とぶつかっている、と解釈していました。でも、私が記憶するかぎり、そういう授業を受けたことはないし、こちらとしては『国士舘に退かないとは上等だ、勝負してやる!』という感じでした。今考えると、向こうが確たる思想を背景に向かってきたのに対し、ウチは単純な武闘派でした(笑)」
「國士参上!!──」は国士舘高校・大学出身の監督自身がモデルになっているが、
「中学は別の中高一貫校に通っていたんです。でも、事件を起こして高校進学がパー、その時点での二次試験実施が国士舘しかなかった。もちろん“評判”は知っていましたが、他に入れる高校がなく、ハラを決めるしかないと‥‥」
そして入学早々、洗礼を受けることになる。
「まず各クラスに先輩が入ってきて『○○線は集合!』と、沿線ごとに割りふりをする。私は京王線だったんですが、下高井戸駅脇のトンネルで、先輩からの“洗礼”があった。タマゲましたね」
これがいわゆる「ヤキ入れ」と呼ばれるもので、
「建て前は、ケンカに対する耐性と免疫力を養い、殴られることを恐れない精神力を育てる、というものでしたが、先輩によっては単なる憂さ晴らしだったり、後輩をサンドバッグにして自分のパンチの威力を試したり‥‥。眼鏡をかけられないほど顔かたちが変わったヤツもいた。確かに徐々に根性は据わってきましたが、やっぱり痛いものは痛かったなぁ(笑)」
そして登下校の際は“ライバル校”である朝鮮高校との「抗争」も避けることができない。
「学校には先輩、通学路には朝高生。最初の頃は、本当にエライ学校に入ったなぁ、と後悔したものです」
両校の「3大乱闘地帯」は新宿、池袋、お茶の水だったといい、
「駅だろうが電車の中だろうが、目と目が合えば即殴り合い開始。新宿や池袋を回ってくる路線、さらに池袋と新宿の両方を通らなければ学校に来られない国士舘生は本当に強かった。池袋で、また新宿でもぶつかって、激闘を乗り越え登校。で、当たり前だけど、また帰りも同じことの繰り返し。だから東武東上線や(朝鮮高校の最寄り駅がある)京浜東北線で通う生徒たちはツワモノぞろいでしたね」