まさに「ビーバップ──」を地でいく過激さで、
「有名な伝説のOBもいます。鉄ゲタを履いて肩から『打倒!朝鮮高校』というタスキをかけて池袋を練り歩いたS先輩は、逮捕されて護送中に手錠をちぎった。同期のFは人並み外れた動体視力の持ち主で、パンチを紙一重で見切ってカウンターでKO。一度もケンカに負けたことがありませんでした。真っ白な学ランでバイクを操り、史上最強と言われた暴走族を創設したYは伝説の人ですし、工業科にいたアマレス特待選手のNはディスコで地回りの愚連隊たちと大乱闘。相手を2階から投げ飛ばして機動隊に制圧されました」
店はその騒ぎが原因で潰れてしまったという。
そして出身者の就職先はいろいろあるが、
「任侠関係や右翼団体も少なくなかったですが、マル暴の刑事も多いですね。『追うも逃げるも国士舘』というジョークがありましたっけ(笑)」
国士舘のお膝元である東京・世田谷で飲食店を経営するOBによれば、
「私の同期にはヤクザにケンカを売って車でさらわれたものの、1人で数人のヤクザ相手に大乱闘した男がいました。結果、その根性を買われて、ある組事務所からスカウトされました」
ちなみに、戦後の愚連隊として知られる安藤昇氏率いる「安藤組」で「ステゴロ最強」の異名を持つ花形敬氏も国士舘(旧制中学)の出身。芸能界からはOBの桜金造(59)が、こんな武勇伝を打ち明けてくれた。
「大学1年の時、学食で天ぷらうどんを食べながら履修届を書いていたら先輩がやって来て、『お前、何今頃書いてんだ!』と言うので、頭にきて天ぷらうどんを投げつけて、トレーで頭をブン殴ったんです。すると『お前、何やってるかわかってるんだろうな』と言われ、またカチンときてボコボコに殴る。それでもまた『お前、何やってるかわかってんだろうな』と亡霊のように迫ってくるんです。家に帰ってもそのシーンを思い出し、怖くなって1カ月で辞めてしまいました。でも辞める際に、先生から『試験だけでも受けに来い。卒業させてやるから!』と毛筆の手紙をいただいて‥‥。今考えても情がある学校だったなぁと思います」
再び高瀬監督に「そんな緊張の連続で、中退することは考えなかったのか」と聞くと、
「いやいや、入学当初は毎日、思っていました(笑)。でも先生から『ここで逃げたらこの先、何かあるたび逃げ道を探す人生になるぞ』『だが、今を耐えたら、何があっても乗り越えられるようになる。頑張ってみろ』と。で、とりあえずふんばって、気がつけば大学まで7年間過ごすことに」
卒業後に、当時のケンカ相手と街で遭遇することもあったという高瀬監督だが、
「いつだったか、京王線沿線で番を張っていた朝高OBが『お前が士舘じゃなくて、俺が在日じゃなかったら友達になれたかもな』と。『じゃあ、軽く飲みに行くか』と言うと、『お前とは行けない。周りの目があるから』。相手のことは認めつつも、何があっても迎合はできない──。そんな彼らの立場に、逆に同情したこともあります」
お互いが「最強高校」だというプライドをかけ、激突した国士舘と朝鮮高校。そんな映画に若い女性ファンが集まる──。目的すら見いだせない者が多い現代の若者たちにとって、破天荒ではあるが、当時の国士舘生のやり場のないエネルギーはまぶしく映るのかもしれない。