デビュー当時を知る制作会社プロデューサーが話す。
「当時は16歳で、中身はまだまだ子供でした。大阪の出身らしくふだんからよく笑う明るい子で、ファンの間では『ナハハ』という笑い声がおなじみとなっていました」
ひまわりのような笑顔にチャームポイントの八重歯、抜群の歌唱力など、多くの魅力を備えていた河合。だが強烈なインパクトは、やはりあの健康的なグラマラス・ボディだろう。
「当時、雑誌などで公称とされていたスリーサイズは『B84・W60・H84』でした。実際のバストサイズは90センチでEからFカップぐらいはあったはず。下着のサイズがなくて苦労してました。ステージで踊りながら歌うと、すぐ下乳が汗ビッショリになってしまう。2泊3日くらいの営業に行く時でも、ブラジャーは5~6枚は必要になるのです。当時はまだ奈保子の胸に合うサイズのブラが、なかなか売っていなかった。買うのは品ぞろえ豊富な高島屋や三愛の地下。サイズが合うものを見つけると、一気に数十枚をまとめ買いしていました。色はだいたいベージュか白が多かったようです」(当時を知る芸能プロダクション関係者)
実はバストの“過少申告”には理由がある。
デビューのきっかけとなった西城秀樹が出演していたCM「ハウスバーモントカレー」の関係で、河合にも同じハウス食品のCM出演が決まっており、巨乳を隠す必要があったのだ。
「ちょうどアグネス・ラムがブレイクした巨乳ブームの影響などもあって、当時はオッパイが大きいというだけでイヤラしいイメージで見られていた。食品会社からは『乙女のイメージ』というリクエストがあったため、なるべく巨乳が目立たない方向で売り出したんです。実際、デビュー当初は水着の仕事も一切、断っていましたからね」(広告代理店関係者)
巨乳を隠すためには、こんな涙ぐましいくふうをしていたという。
「奈保子の歌は明るく元気な曲が多く、ステージ全体をフルに使って踊りながら歌っていました。ところがクルリと振り向いたりする振り付けをやると、オッパイの重みで体が持っていかれてしまう。遠心力の原理ですね(笑)。それでバランスを崩してしまうこともあったので、しかたなくブラの上からサラシをグルグル巻きにしてオッパイを固定していました」(前出・芸能プロ関係者)
それでも、規格外にビッグな胸の破壊力は抑えようがなかった。頻繁に「ポロリ」危機があったという。
「背中のチャックを上げて、いちばん上をホックで止めるタイプの衣装なんかを着ると、しょっちゅうホックが飛んでました。ステージに出る時は、いつもスタッフが舞台のソデに安全ピンを持って待機していました。奈保子も手慣れたもので、歌いながらホックが飛んだのがわかると目で合図を送ってくる。踊りに合わせながら舞台のソデに行き、間奏などの間にピンで応急処置をしてました」(前出・芸能プロ関係者)
これだけの巨乳を隠すとはもったいない話だが、清純なキャラクターの下に豊満な肉体を抑圧するというアンビバレントな状態が、河合の特別な魅力につながっていたのかもしれない。