魅力のバストは、しかし本人にとっては最大のコンプレックスだったという。
「子供の頃から『大きい』と言われ続けたせいです。スタッフたちに『奈保子の前で胸がデカいという話題は絶対出すな』と指令が出ていたほど。胸の重みによる肩凝りは重症で、しょっちゅう目頭やコメカミを押さえて自分でマッサージしていました」(制作プロデューサー)
肩凝りや目の疲れは、極度の近眼だった影響でもある。だが、当時はまだコンタクトレンズの質も悪く、かといって人前で眼鏡をかけることもできなかった。これもアイドルに制約が多かった、80年代ならではだろう。
「人の顔がボヤケて判別できなかったせいで、挨拶したのに無視されたと感じてしまうような人もいました。一時期、関係者の間では『挨拶もできない高飛車な女』という評判が流れてしまったんです。現場に入ると、事務所の人がピッタリと寄り添って、誰かが来ると耳元で『○○さんが来たから挨拶しなさい』とささやいていました」(前出・制作プロデューサー)
今の時代なら、バラエティでのネタにするところ。しかし当時のアイドルは、現代よりもはるかに厳しくファンから清純さを求められており、苦労を公言することもできなかった。歌唱力に定評があった河合だが、超巨乳はその歌唱に悪影響を与えていたという。
「あれだけ大きいオッパイだと、歌いながら胸が揺れて呼吸ができなくなってしまうことがあるそうなんです。これもコンプレックスに感じる原因の一つだったようです」(レコード会社社員)
当時のアイドルは、地方でのイベントやコンサートといった営業も頻繁に行っていた。80年代のコンサート事情を知るベテランのプロモーターが、貴重なオフショットの目撃エピソードを明かしてくれた。
「地方でも常にがっちりガードされていて、ステージが終われば宿舎に直行でした。食事もほとんどはホテル内のレストランで済ませていました。ふだんでもテーブルが少し高さのあるものだと、すぐにテーブルの上にオッパイを乗せて『こうすると、スゴく休まるの』と、無邪気に笑っていましたね」
食事が終わると、すぐ部屋に帰りたがったというが、これも別にオトコを引っ張り込んでいたわけではない。
「早くお風呂に入りたかったからだそうです。オッパイの下にかいた汗は、ブラを取って裸にならなければサッパリできません。湯船に入ると、お湯の浮力でオッパイが浮いて楽になる(笑)。この解放感に浸るのがストレス解消法だったようです」(前出・レコード会社社員)