熊本地震の発生から5カ月。熊本市内では最大11万人もの避難者がいたとされるが、9月15日には市内最後の避難所も閉鎖された。だが、今なお、悲惨な路上生活を送る県民が多数存在しているのだ──。
「5カ月たっても、公園で寝泊まりしている人間がそこかしこにいる。車を持っている人はまだマシで、ない人は地面に布団を敷いて寝るホームレス生活だよ」
9月22日の時点で、震災関連死を含めた死者は114名。中でも直接死50名のうち20名を記録したのが、4月14日に発生した「前震」の震源地である益城町だ。住宅は5600棟以上が全半壊し、現在も爪痕が強く残る。冒頭の発言は瓦礫の残る“自主避難所”にて、十数名の避難者とともに家族でテント生活を送るA氏の言葉である。
県災害本部の発表によると、21日時点で益城町には211人が唯一の“指定避難所”である総合体育館で避難生活を送っている。その避難所も、「10月中旬には町内全ての仮設住宅が整備され、必要な戸数を確保できる見込みとなった」として、10月末での閉鎖を決定した。一見、かつての日常生活を取り戻しつつあるように見えるが、A氏によると、これはまやかしにすぎないという。
「応募倍率は下がりつつあるけど、仮設住居はへき地に建てたものばかり。車がなければ生活ができないので、高齢化が著しい益城では『仮設に入るよりも避難所のほうが快適に生活できる』と嘆く声が出るほど。応募しているのは一部だけだよ。避難所の中には新住居が見つかっていない人間がいる。閉鎖されたら、俺らみたいに路上生活者になるのもいるだろう」
実際、避難者数については、
「この数値は避難所にいらっしゃる方の数字であり、公園などに自主避難されている方は含まれておりません」(県危機管理防災課)
とのことで、A氏のような存在は「避難者」として認識されておらず、実態は計り知れない。では、A氏らには路上生活を送る理由があるのだろうか。
「『みなし仮設』に入ることが目的なんだ」
聞き慣れない言葉だが、県が民間賃貸住宅を借り上げ、被災者に無償提供する制度だ。ただし希望者は自分で物件を探し、契約を結んだうえで申請書を作成、県または市の認可を受ける必要がある。9月20日には不足を危惧した県が新たに5000戸を借り上げると発表したことに加え、宮城県など、6つの他県でもみなし住居の供与が行われているのだが‥‥。
「実は物件の数は足りているんだ。ただ、貸主がトラブルを恐れて、身寄りのない人や高齢者の入居を断る。貸主の許可を得られたとしても保証会社に断られるケースも多い。失業している人間には貸さないから」
障害はこれだけではない。制度では敷金2カ月、礼金1カ月に加え、毎月の家賃を4人世帯までは6万円、それ以上は9万円まで保証すると規定しているのだが‥‥。
「県や市に申請を行っても認可に時間がかかる。その間、貸主がお金を取りっぱぐねないよう、県が負担する入居費用、敷金、礼金以外にも数カ月分の家賃を加えた額を要求されるんだ。認可が下りれば返ってくるとはいえ、日々の生活費すら困窮している被災者がそんな大金を立て替える余裕なんてないよ」
そう言うと、「震災前の水準だったらもっと多くの人間が入居できているのに」と、A氏は肥え太る貸主への不満をぶつける。
「震災前の家賃相場は熊本市の繁華街でも1DKで3万円台だった。それを県が『6万、9万円まで保証します』と言うもんだから、築年齢が古かろうが、家主は賃料を国の保証額に設定するようになった。ネット上では安い物件が並んでいるから誤解されがちだけど、『みなし仮設で契約したい』と言うと値上げされる。貸主の中には今回の震災を『神の恵み』と言う人まで現れている。路上生活でも雨が降ると車中泊の人が中に入れてくれるけど、みんな、今後のことが不安で話し合うから寝られないんだ。みんな、仕事もなく、金の亡者が跋扈する故郷を捨て、県外のみなし住宅を探そうと考えている」
報道も減った今こそ、被災地の現実を見つめ直す必要があるのではないか。