脱いで、濡らして、魅了して‥‥、世の男を奮い立たせるのは女優の使命と言っていい。そしていくら年を重ねても、彼女たちが10代で披露した「妖精濡れ場」はいつまでもファンの記憶に残り続ける。「あの時僕も若かった」と──。青春の証しとして今も語り継がれる珠玉の名作をここに蔵出し再演する。
「デビュー作は私の女優生命にとっていちばん貴重な作品です。まさに運命の1本になりました」
と語るのは、72年公開映画「旅の重さ」(松竹)で主演した高橋洋子(63)だ。高橋の役どころは母親との確執から家を飛び出した少女で、四国巡礼の旅路で衝撃の全裸を披露している。
「劇中、私が全裸で浜辺にうずくまるシーンがあるのですが、監督たちは遠くの崖の上にいる遠景での撮影でした。『行くよー』という掛け声で宿屋の仲居さんが浴衣をサッと引っ張って全裸になるんです。誰もいない渚で『あー、本当に私、裸になっちゃった~』って思いました。周りがきれいな風景で気持ちよかったです」
高橋が銀幕デビューの切符を手にしたのは高校卒業後に入所した文学座の研究生の時。公募の写真選考に通った高橋だが、たまたま別の民放ドラマの面談が重なり、オーディションに遅刻してしまったという。
「有楽町から東銀座まで人込みをかき分けて走ったせいか、汗だくでTシャツも髪もびっしょり。面接会場に『すいません。遅くなりましたー』とずぶ濡れで飛び込んだ姿が監督の旅する少女のイメージにぴったり重なったようです。四国ロケでは、三國連太郎さんとの共演が忘れられません。もっとも、三國さんは監督に『あの娘とはやりたくないよ』とこぼしていたそうです。私のピュアすぎる演技に、三國さんもかなわないと思ったのかしらね」
40年以上前の古い記憶が今も目に浮かぶようだ。
女優の濡れ場に一家言ある映画評論家の秋本鉄次氏はデビュー早期のヌードをこう言って推奨する。
「女優にとって、ヌードや濡れ場は乗り越えなければならない壁。なまじ清純派というレッテルを貼られると脱ぎにくくなってしまう。ですから10代のうちに思い切ってポーンと脱いでしまうほうがいいんですよ」
脱ぐことは汚名ではない。女優としての輝かしい勲章なのだ。実際、映画で激しい濡れ場を演じたあとに、一気に人気上昇した女優といえば吉高由里子(28)が記憶に新しい。
吉高が濃厚なSMプレイに体当たりで挑んだ「蛇にピアス」(ギャガ)について、アイドル評論家の織田祐二氏が説明する。
「まさに見せ惜しみなしで裸体をさらしている。特に色素が抜けたような白い素肌と、淡い桃色の乳輪がみごと。後ろ手に結(ゆ)わかれ、体の自由を奪われた拘束セックスでは男に体を委ねて突かれまくる。ドSなヤカラにはたまらない内容です」
吉高はこの作品で日本アカデミー新人俳優賞、ブルーリボン賞新人賞などを獲得、大ブレイクした。
芸能評論家の佐々木博之氏も高く評価する。
「SMセックスもいいが、冒頭でナンパされてそのままお持ち帰りセックスする場面は、まるで素人AVをのぞき見しているようなリアルさがあります。そして吉高の背骨の両脇には、俗に“天使のエクボ”と言われるくぼみが浮かび上がります。このエクボがあると床上手と言われるだけに、興奮しない男はいないでしょう。大先輩の高橋洋子さん(前出)は脱いだあとに『北の家族』、吉高も『花子とアン』でNHK朝ドラのヒロインをつかみ取っている。まさに10代でヌード作品に出演したたまものと言えます」
「旅の重さ」のオーディションで高橋の次点となり、端役での出演となったのが秋吉久美子(62)だ。しかし、74年に藤田敏八監督の「赤ちょうちん」(日活)で初脱ぎ。その後、立て続けに「妹」「バージンブルース」(同)と官能作に出演し「コケティッシュ」な女優として名をはせることになった。