「今年本当にみんなの力で優勝を経験させてもらって、最高のシーズンを送れたんで、全く悔いはないですね」
さる10月18日、広島カープの黒田博樹が今季限りでの現役引退を発表した。さらに黒田は最初で最後となる日本シリーズに向けて、こう語った。
「目一杯、最後、ケガを恐れずに戦っていけたらと思います」
大阪・上宮高校から専修大学を経て、ドラフト2位(逆指名)で97年に広島に入団した黒田は、在籍11年間で103勝の勝ち星を挙げ、07年オフにフリーエージェント権を行使して、米大リーグ・ドジャースに移籍。
黒田は、大リーグ通算7シーズンで79勝をマーク。10年~14年にかけては、日本人投手として初となる5年連続2桁勝利を達成。そんな偉業を継続中の14年オフ、黒田はメジャー球団からの超高額オファーを断り、古巣の広島を日本球界への復帰を決断するのだった。そして今季10勝を挙げ、25年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。
日本だけでなく、最高峰のメジャーリーグにおいても成功を収めた黒田。しかし、高校時代の黒田にその面影はなかったという。上宮高校野球部OBが語る。
「当時の監督は本当に怖かったですから。練習試合でもピッチャーが2連続で四球を出したら、グラウンド中が重苦しい雰囲気になるんです。しかも『おい。黒田、しっかり投げろや』『もう投げんでええ。帰れ、帰れ』とチームメイトからも野次が飛ぶんです。たいがいのピッチャーは萎縮して、ストライクが入らないようになる。黒田もそうでした」
高校3年間、黒田はずっと控え投手であり、エースナンバーが与えられることはなかった。広島のテレビ局が放送した特別番組において、高校時代の練習場を訪れた黒田はこう語っている。
「嫌やったなあ。ここで投げるの。ボールを探しに行くフリをして、外野フェンスの裏が土手になっていて、そこの川の水を手ですくって飲んでいました」
今回の引退について、米国メディアも速報で伝えるなど、国内外から惜しむ声が相次いでいる。最高の花道を飾ろうとしている黒田。その栄光の裏には高校時代の過酷なシゴキを乗り越えた過去があったのだ。