夫や妻に先立たれて1人暮らしをしている、そんな人は少なくありませんが、親と離れて暮らしている場合、気になるのが「孤独死」でしょう。
80歳の母が1人暮らしだという50歳の知人が、先日、こんなことを言ってました。
「父は亡くなって20年たちましたが、母は80歳になるのに、今も週に3回ほど水泳や麻雀をやっており、頭も体も元気です。仕事の都合で離れて暮らしていますが、今でも運転するなどぴんぴんしています」
私は「70歳では人様に迷惑をかけてはダメ。けれど80歳になったらかけてもいい」と思っています。70代ともなれば病気は100%ありますが、自分で動けることを目標として「家族や他人に迷惑をかけない」ように生きるべきだと思うからです。ただし、80歳になればいくら甘えてもかまいません。若い女性に車椅子を押してもらおうが、少しぐらいぼけようが、しかたなし。不摂生もしていいでしょう。
それでもやがて面倒を見なくてはならなくなるはずと、覚悟はしている様子で、先日、こんなことを言ってました。
「最後は私が面倒を見るつもりですが、母は『あんたの世話にはならないから施設を探しておいてくれ』と言うんです。孤独死が気になるので施設に入れるべきか、それとも今のまま自宅にいさせるべきか。どうしたらいいですかね」
今週のお題はこれです。お母さんが1人で身の回りのことをできなくなった場合、息子である知人が面倒を見るしかありませんが、仕事と母の面倒、どちらを優先するかという問題があり、加えて奥さんの手助けが必要となるでしょう。家族の誰かが犠牲にならねばなりません。
そう考えると施設に入れるのはしかたないこと。いい施設を探してあげて「ついの住みか」に住まわせるのも、決して悪いことではありません。金があれば立派な施設に、なければコネを頼りに、とにかく「いい施設」を探すことです。
この方が施設に拒否感を示すのは「姥捨て山」のイメージがあるからだそうですが、私は「自宅でも座敷牢じゃないのですか」と問いかけました。同じ境遇の仲間と一緒に楽しみ、姥捨て山で宴会をしているとしたら、それはそれで幸せでしょう。
犠牲になれる人がいないのであれば、施設もやむなしと私は思います。
今後、高齢化社会が加速し、こうした問題は多くなるのが目に見えています。それを見越してか、政府は介護にかかる保険金や助成金を少なくするべく「家に帰れ」「施設に入れるな」という方向に向いています。そのため「家で死ぬのが幸せ」という価値観を植え付けようとしているようにも見えますが、これには複雑な事情があります。
大した病気もない寝たきりの老人を入院させると、かかった医療費より保険点数のほうが低くなる、という保険制度があるため、病院が莫大な赤字を抱えます。つまり政府が福祉にかかるお金を減らそうとしているわけです。病院サイドは「1日8000円程度しか保険が下りない」ために赤字を嫌がって入院させません。しかし、差額ベッドに入れば、喜んで入院させてくれるとおり、病院で手厚い治療を受けて、天寿を全うすることはできます。
最期まで面倒を見てくれる家族がいればまだしも、1人暮らしで孤独死となる場合は「病院で死なせろ」と、声を大にして国に訴えてもいいと、私は感じます。
■プロフィール 秋津壽男(あきつ・としお) 1954年和歌山県生まれ。大阪大学工学部を卒業後、再び大学受験をして和歌山県立医科大学医学部に入学。卒業後、循環器内科に入局し、心臓カテーテル、ドップラー心エコーなどを学ぶ。その後、品川区戸越に秋津医院を開業。