それから2年後の97年(平成9年)12月、再び新進党の党首選が行われた。
小沢230票、対立候補の鹿野道彦が182票であった。ところが小沢は、党首に選ばれたとたん、解党に踏み切った。
小池はさすがに驚いた。
〈これは、あまりにも唐突すぎないか〉
解党の結果、非自民勢力の結集を謳った新進党はわずか3年で四分五裂し、小池は小沢が新たに結党した自由党に参加することにした。
「政党は安全保障政策で一枚岩でなければならない」という小沢の説明に、小池は同意できた。それが自由党を選んだ小池の最大の理由だ。結党時に集まった仲間の安保観も、新進党時代と比べれば、一致点が多く見られた。
98年(平成10年)6月25日、参院選が公示された。自由党は、選挙区に10人、比例区に12人の候補者を擁立した。
が、自由党には組織がなく、運動員も少なかった。
そこで小池は、テレビコマーシャルを企画した。制作会社と何十回となく議論した上で、3タイプのコマーシャルを制作、その上で、選対委員長の中西啓介に言った。
「みんなに相談したら、ああでもない、こうでもないという議論になってしまう。ですから選対委員長、あなたの独断と偏見でいいから決めてください」
中西は判断した。
「よし、これで行こう」
小池は、いつも考えていた。
〈日本が今求めていることばかり思っている小沢さんが、どうして国会で嫌われるんだろうか〉
小沢や自由党で考えていることと、一般市民が考えていること、それが重なるポイントは必ずある。そこを敏感に読み取り、きっちりと出会わせる。それが広報の仕事だと考えていた。小池はどこに行く時でも、常に小沢をPRするにはどのようにすればいいか、考えていた。
小池の脳裏に小沢一郎のポスター案が、ふいに閃いた。さっそく、そのコピーをざっと書いてみた。
「・ボク(小沢一郎)が永田町で嫌われるわけ
先送りしない 先見性がある 主張が一貫している(ネガティブのネガティブはポジティブ)
妥協しない 言い訳をしない 決断する 本当のことを言う 愛想がない 官僚を使いこなす 言動一致 おもねらない 言葉が少ない 小鳥が好き アメリカとわたり合える 怨念に興味がない 数字に強い
・それでも、だれがやっても同じだとおおもいですか」
が、ポスターになると、車で通る時にはその量のコピーは読めない。では、どんな方法ができるのか。
小池は、自分の温めていた案を代理店の担当者に話し、自由党のキャンペーンCM「小沢一郎が永田町できらわれるワケ。編」とした。小池自ら、CMの絵コンテまで書いた。
朝、小沢が洗面所で体をほぐす姿に、小沢が永田町で嫌われる理由がマンガの吹き出しのように次々と現れ、画面を埋め尽くす。
歯磨きをし、髭を剃り、ネクタイを締めたところで小沢は、それらの文字をハンカチでさっと一掃。シャキッとしたところで、センターに大きく「自由党」のキャッチが映し出される、というものだった。
最後のシャキッとするシーンでは、小沢自身が両手で自分の頬を叩くといったことを考えて、そのとおりにした。いいCMに仕上がった。その頬を叩くコミカルな仕草は、子供の間では流行ったらしい。
小池の考案したCMの効果もあり、この参院選で、自由党は、比例で520万票を獲得、選挙区1人、比例区で5人の、合わせて6人の当選者を出した。マスメディア出身である、小池の本領発揮であった。
大下英治(作家):1944年、広島県生まれ。政治・経済・芸能と幅広いドキュメント小説をメインに執筆、テレビのコメンテーターとしても活躍中。政治家に関する書籍も数多く手がけており、最新刊は「挑戦 小池百合子伝」(河出書房新社)。