とびきりの度胸とイメージ戦略を武器に、小池百合子は日本の“常識”に次々とメスを入れていく。フォーマルの場での軽装を推進した「クールビズ」、あえて造反組の選挙区を選んでの衆院選立候補など、タブーを怖れず邁進する彼女の新たな戦場は、都庁の頂点であった!
小池百合子は、00年(平成12年)の自由党分裂に際して、小沢一郎と袂を分かち、保守党に参加した。その後、自民党に入党し、03年(平成15年)9月には、小泉内閣で環境大臣に起用され、初入閣を果たした。
04年(平成16年)9月、環境大臣に再任された小池は、新たに「沖縄及び北方対策」の特命担当大臣も兼任することになった。
その直後、沖縄に視察に出向いた小池は、会場のカラフルさに息を呑んだ。赤、青、黄の原色に落ち着いた芭蕉布や藍染の「かりゆし」が入り乱れている。
小池は思った。
〈この沖縄の姿こそ、夏の軽装の理想の姿だ〉
小池は、かりゆしの普及に至るまでの苦労や工夫を参考に、夏の軽装化の全国展開を目指すことにした。
小池は、環境省の炭谷茂事務次官にも相談した。
「私、ビジネスマンが背広から逃れられないという呪縛から解放してあげようと思っているんだけど、どうかしら? でも単にノーネクタイって言っても効果なんて期待できないから、大義を設定しましょう。“地球温暖化対策・防止”という、非常に大きな普遍的なテーマを掲げたらどうかしら?」
炭谷は賛成したが、一方で思った。
〈みんなが、サッとノーネクタイを受け入れられるかな‥‥〉
日本人の性格からすれば、一瞬は受け入れられるかもしれない。だが、それが定着するところまでは想像できなかった。ところが、小池には確固たる自信があったようだった。
小池は、徐々に考えをまとめていった。そして、具体的に頭の中で整理がついた。
〈オフィスで働く男性をターゲットに、大キャンペーンをしかけてみよう〉
この時、翌05年(平成17年)3月25日から9月25日まで、「愛・地球博」が開催される予定だった。環境省では、子ども向けの環境人形劇と環境コンサートを企画していた。
が、小池は、環境省主催のイベントとしては物足りなさを感じた。
〈インパクトが足りない。人形劇とコンサートで、3000人の会場が埋まるだろうか?〉
小池は提案した。
「例えばファッションショーなんて、どう?」
モデルは、財界トップ。その理由は、「上司から変わらないと、部下は変えたくても変えられない」からだった。
小池は、いわば「日本の上司中の上司」とも言える、日本経団連会長でトヨタ自動車会長の奥田碩から口説くことにした。
年が明けた05年1月、小池は奥田に電話を入れた。
「6月5日の日曜日、名古屋なんですけど、ご予定は空いていらっしゃいますか?」
日程を確認しているのか、しばらく間を置いてから、奥田は答えた。
「ああ、大丈夫、空いてますよ」
小池は小躍りした。
〈やった! これでプロジェクトの8割は成功した〉
小池は切り出した。
「実は、ファッションショーのモデルを依頼したいのですが‥‥」
奥田は、どうやらゴルフの誘いと勘違いをしていたらしい。ファッションショーと聞いて、しばらく絶句した。
「えーッ、モデルですか‥‥」
しかし、小池がその趣旨を説明すると、奥田は快諾してくれた。
次のターゲットは、松下電器産業(現・パナソニック)の森下洋一会長とオリックスの宮内義彦会長であった。
2人は、小池がカイロ大学に留学するまでの間在籍していた関西学院大学の出身であった。
小池の要請に、2人とも快諾してくれた。
小池は確信していた。
〈この3人がOKした、快諾した、という強いお墨つきは、「そんな方々が出るのなら」という大きな安心感を生むに違いない〉
大下英治(作家):1944年、広島県生まれ。政治・経済・芸能と幅広いドキュメント小説をメインに執筆、テレビのコメンテーターとしても活躍中。政治家に関する書籍も数多く手がけており、最新刊は「挑戦 小池百合子伝」(河出書房新社)。