1950年代の日本は、街頭テレビが登場するなど、茶の間にテレビ文化が浸透しはじめた時代である。庶民の好奇心は、国民的スターだった、ひばり、ミッチー、裕次郎らの一挙手一投足、その私生活の秘密を知ることに寄せられた。有名人の私生活を根掘り葉堀り暴く特集もまたアサヒ芸能の売り物のひとつだった。
美空ひばりは、戦後日本の芸能シーンを疾風のごとく駆け抜けた国民的スターである。
「アサヒ芸能」は1957年11月24日号で芸能生活10周年を迎えたひばりの特集記事を組んで「素顔と私生活」に切り込んでいる。その中で、芸能界トップに登りつめた20歳の天才、10年間の人気の秘密を「りんご追分」を手がけたコロンビア専属作曲家の米山正夫氏が、その声から分析している。
〈美声とはいいがたいが、声そのものが庶民調、つまり日本人特有の“人情味”につながる、親しみやすい声〉
さらに、当時のひばりの元に届くファンレターの大半は女子高生からだったそうで、その中のファンの手紙の感想にひばり人気の核心を突くカギがあると、ひばりの演技評を素直な素人目線でこう伝えている。
〈先日、橋蔵さんと一緒の“振袖太鼓”を見て、ますますひばりちゃんが好きになりました。悪者を相手にチャンバラをやる時のひばりちゃんの姿。あなたは男の格好のほうが似合うわ。わたしは、思わず胸に手を当てて、フーッと溜息をついてしまいます〉
哀調をおびた大衆的な低音の声と、男装をも演りこなせる、大衆的演技と容姿が人気のカギだというわけだ。怒涛の絶頂人気、いったい美空ひばりは、いくら稼いでいるのか。そんな素朴な疑問から、編集部では、ひばりの10年間の芸能活動で稼ぎ出した“ひばりマネー”の実態を独自調査し、ユニークなリストを作成して、その特集で報告している。
ここに抜き出すと、こんな具合だ。
【10年間の稼ぎの記録】
●レコード売上:520万枚(1949年のデビュー盤「河童ブギ」から57年「雪之穣丞変化」まで240曲)※高さにして1000メートルに及ぶ
●出演映画:70本(49年デビュー映画「のど自慢狂時代」から「娘十八御意見無用」まで)※フィルムの長さ合計19万2500メートル
●所得:7900万円以上(50年以降の7年間)※国税局調べ 25年度110万円、26年度500万円、27年度1200万円、28年度1000万円、29年度1400万円、30年度1600万円、31年度2100万円
●ファンレター数:69万3500通(はじめの3年間は1日平均50通だった。あとの7年間は1日平均250通が自宅に届いた)
●洋服:95着 ●和服:20着 ●靴:40足 ●帽子:100個
●不動産:横浜の高台にプールつき自宅(敷地900坪、間数13、建築費1000万円)/横浜に飲食店ビル「美之寿司」を20歳の誕生日を記念して開店。2階はビアホールととんかつ店「かつひばり」(建坪105坪)
この頃の公務員の初任給は9200円だったそう。類推すると、当時のひばり人気の絶大さを知るエピソードであろう。