66年6月29日午前3時39分、ビートルズが来日した。日航から贈られたそろいのハッピを着て、羽田空港からタラップを降りてくる4人のメンバー。しかし、警備が厳重なため、彼らのハッピ姿を見られたのは、関係者と250人の報道陣だけだった。2000人近いファンは空港ロビーに設けられた関門で追い返されたという。
空港での混乱に備え、沿道警備に警官3万人を動員、ヘリコプター3機を用意して、横田基地に緊急着陸の手はずまで整えていた。各国の要人来日でも、こんな大規模な警備は見たことはない。
表向きは、数万ともいわれた、駆けつける熱狂的なファンの混乱を防止するためだったが、別の理由をアサヒ芸能1966年7月3日号はキャッチした。それは右翼、大日本愛国党が当日、一貫した政治闘争の一つとして「ビートルズを叩き出す」作戦を決行するというのだ。
行動右翼として知られる大日本愛国党の赤尾敏総裁が語調激しく、ぶつ。
〈「歌って踊ってのバカ騒ぎ、青少年の非行が問題にされているときなのに、それを助長するばかりじゃないか。ビートルズというのは、日本の国家的利益に反するやつらなんだ。放っておくわけにはいかんじゃないか。」〉
ほかに行動を起こそうとしているという別の右翼団体の17歳女性(当時)はこういう。
〈「ビートルズって、顔見たってまずいツラしてるわよ。あんなのどこがいいのか、サッパリわからない。今の日本って狂ってるわよ。情熱をブツけるものがないから、あんなものにワイワイ、キャアキャア騒ぐのね。国力が弱体化するばかりよ」〉
ビートルズが右翼の襲撃計画を知っていたら、はたして日本に来ただろうか?