ベトナム戦争が激しさを加えると、アサヒ芸能は独自の切り口で現地報道を行った。その第1弾として、戦場カメラマンの草分けでピューリッツア賞を受賞した沢田教一氏は、連載「新日本・夜の五十三次」番外編に『ベトナムの“バカヌク娘”万歳!』を発表している。
前述のアサヒ芸能1965年7月4日号のルポで沢田氏は、サイゴンのバーにたむろする戦場帰りのアメリカ兵の姿を描写している。
〈その若いGIは荒れていた。荒れ狂っていた。私が入った一軒のバーで、彼は昼間から飲んでいたらしい。が、私にはすぐわかった。彼は恐怖に脅えているのだ。酒も女も、彼の恐怖をまぎらわすことはできない〉
タイトルの「バカヌク」とはベトナム語でソノことである。
「三文役者」を自称する俳優・殿山泰司氏もアサヒ芸能65年8月1日号から東南アジア寄稿を連載し、その第1回で『三文役者のサイゴン日記』を寄稿している。ベトナム戦争の真っ只中でも、タイちゃんの筆は戦場の外に向かう。
〈午后10時、フロントへ降りてビアでも飲むか。そうしましょう。ふたたび階段をアメリカとすれちがいながら降りる。アイシャドーのベトナム娘が上がってくる。慰安所だなココは〉
殿山氏がアメリカ兵と与太話しているうちに、同行カメラマンがアメリカ人に胸倉をつかまれている。そして、力づくでカメラからフィルムを抜きとってしまった。
ユーモラスな中にも、映画『裸の島』で世界的な評価を受けた名優らしい、鋭いまなざしが光っている名文だ。