事件は殺害の実行犯やストーカー行為を手伝った仲間ら13人の逮捕者を出したが、主犯の小松の行方はようとして知れなかった。
だが、翌年1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で遺体で発見される。
99年2月10日号はその模様をこう伝えている。
〈白鳥を撮影に来た観光客が、波打ち際に打ち上げられた男性の遺体を発見した。男はあおむけで、死後数日が経過、全身凍結状態で顔はパンパンに晴れ上がっていた〉
小松は大量の睡眠薬とアルコールを摂取。また、手首には切り傷が多数あった。
〈小松は兄の武史から逃走資金を調達。北海道に入ると、知人名義で札幌市内のアパートを借り、ススキノの街で女と飲んだり温泉で遊んだりと、逃亡者とは思えぬ豪遊をしている〉
その後、小松は釧路へ向かう。
〈「釧路は大漁船基地だから多くの船が出入りしている。小松もロシア行きを企んでいたが、不可能になって、ついに自殺という方法を選んだのでしょう」(社会部記者)〉
遺書には「天国には行けない」と記されていた。
そして、2000年11月、この事件をきっかけに、「ストーカー行為等に関する法律」が施行された。